私ども年配者は、この特権をすでに失っている。むしろ、「人生というものは、取り返しのつかない失敗の連続」という実感があるが、それでも厚かましく生きている。若いうちは迷って当然であり、可能性の実験を試みて、失敗したら、次の可能性を試せばよい。やり直しのきく年齢なのだから、次々に試みて失敗から何かを学べばいいのである。
子どもの数だけ学びがある
9月1日問題の責任の一端は、あきらかに学校教育にある。学校に行くか、行かないかは、大した問題ではない。ただ、学校に行けなくなった生徒たちにも、次の学びの機会が与えられなければならない。
教育とは鋳型にはめて、工業製品のように画一的な人間を大量生産する場ではない。むしろ、一人ひとりの個性をはぐくむ場のはずである。不登校の生徒たちにも、彼ら、彼女らにふさわしい成長の形があってしかるべきであろう。
精神疾患が起因と思われる社会課題を精神科医の立場から分析する連載「医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から」の記事はこちら。