各国の戦闘機も展示
インド空軍博物館は、国際空港のすぐ隣にあり、非常にアクセスが良い。日本人でもパスポートと100ルピー(約200円)払い、記名すれば、中を見学することができる。
一見すると、やはり予算は十分ではなく、米国のスミソニアン航空宇宙博物館のような豪華さはない。しかし、展示内容を見てみると、多国籍の軍用機が多数あり、大型機もあり、インド空軍が経験してきた多くの実戦経験の展示もあり、内容は充実している。
まず、目につくのは、米国製の巨大なB24爆撃機である。インド空軍の歴史は、英領インド時代に創設されたものである。日本と戦う蒋介石政権の中国を支援する「援蒋ルート」の拠点になったため、米国が多くの大型爆撃機や輸送機を持ち込んだ。
第2次世界大戦が終わると、米国はそれらの装備品を置いて帰国したため、インド空軍は急に、大量の大型爆撃機と輸送機を保有することになったのである。それらの爆撃機や輸送機は、第1次印パ戦争や印中戦争において、大きな役割を果たした。印中戦争の展示では、エスカレーションを恐れたインドのネルー首相が、中国軍への空爆を禁止したため、インド空軍は輸送機や偵察機のみの活動であったが、部隊の活躍が記されている。
博物館の展示で中心になるのは、やはり印パ戦争である。そしてそこには興味深いエピソードがある。
インドは1965年と71年の印パ戦争において、インド空軍はナットという戦闘機を使用した。この戦闘機は、小型軽量で非常に運動性の高く、ユニークすぎたため、設計した英国では採用されず、輸出もうまくいかなかった。インドだけが、そのナットに目をつけ、ライセンス生産の権利を取得して200機以上生産、実戦投入したのである。
実戦投入したナットは、パキスタン軍のセイバー戦闘機に対して、その実力を遺憾なく発揮した。ナットの運動性があまりに高いので、ミサイルを回避した、といわれている。他の国の評価を気にせず、自らの評価基準に自信をもって行動する、インドらしい例といえる。