ヘンドリク・ハリッツゾーン・ポトの『愚か者の車』(1637年)のモデルはチューリップ・バブルがはじけたハールレムの織物工たちである。帆をはらませた車の上にチューリップの花を描いた大旗を掲げて、花の女神フローラは両手にチューリップを抱えている。車には運命の女神フォルトゥーナと酔っ払いや両替商たちが乗りこみ、海へ向かって墜落しようとしている。
チューリップが与えたものとは
レンブラントが『夜警』を描いたのはこのチューリップ・バブルの崩壊から5年ほどあとだから、チュ―リップの狂騒の記憶はアムステルダムの街からようやく遠ざかっていたのかもしれない。
仮にこのチューリップの球根をめぐる狂騒を目のあたりにしていたとしても、画家がそれを画題に取り込んで描くことはなしかったに違いない。なぜなら、『夜警』の完成と同時に愛妻サスキアを亡くした画家は、すでに巨匠でありながら再び自画像と「聖書」をめぐる主題を通して、内なる〈生命〉への探求に回帰してゆくからである。
それでも市民警備隊の注文を受けてこの群像画に取り組む彼の視界は、同時にあの「チューリップ狂」のざわめきのなかに踊る人々の奇矯な姿を確実にとらえていただろう。
レンブラントが注文絵画として描いた群像画の『夜警』は、アムステルダムという都市の〈現在〉を映し出し、あわせてその時代精神を浮き彫りにした。そこで「もっと前へ」とバニング・コックが差し伸べている左手は、チューリップという希少な花に託した儚い夢から覚めたその先へと、アムステルダムの市民たちをいざなっているかのようである。
――さて。コルネリウス・ベルクはアムステルダムの街の教会の壁にまがい物の板張りの扉を描く仕事を終えると、家路についた。ほとんど人とまじわらない孤独な暮らしだが、その日は一人だけ行き来のある遠縁の老人、シンディック・デ・ハーレムを訪ねた。
〈ペンキ塗りの薄い木戸を押すと、運河に近いそのささやかな庭に、チューリップ愛好家の老人が花にかこまれて彼を待ち受けているのだった。コルネリウスは途方もなく高価なその球根にはほとんど熱意を示さなかったが、花の微妙な形、微妙な色彩を見分けるのに巧みであった。それで老シンディックが或るチューリップの新しい変異種について自分の意見を求めるためにのみ自分を招いたのだということが分かっていた〉
白、青、薔薇色、赤紫色……。さまざまな色調に彩られた花々が肥沃な黒土から立ち上がって、満開の花弁に土の湿ったにおいが漂った。シンディックは膝の上に植木鉢を置くと、二本の指にその茎を挟んでその繊細な花びらをコルネリウスに見せた。
シンディックは有頂天だった。なぜなら白と赤紫の縞模様の花冠は、まごうことなくあのセンペル・アウグストゥス、「無窮の皇帝」のそれであったからである。彼はその鉢を四方に回して眺めたあと、足元において言った。
「神は偉大な画家ですな」
コルネリウスは花と運河を見つめ、にぶい鉛色の水鏡が映す家の花壇と煉瓦塀を眺めて、自分の長い過去の旅を振り返っていた。
〈不潔な東方、だらしない南方、かくも美しい空のもとで心にとまった吝嗇、愚鈍、兇暴の表情、みじめな住居、恥ずべき病、旅籠屋の入口ではじまる短刀を振りかざしての喧嘩、無味乾燥な質屋の顔、フライブルクの医学校の解剖台に横たえられた彼のモデル女フレデリケ・ゲリッツホテルのふくよかな躰‥‥〉
脈絡のない遠い回想が途切れると、コルネリウスはチューリップの鉢から目を外し、低い声で苦々しげに言った。
「神は森羅万象を描かれる」
そして、心のなかでこうつぶやく――。
〈何たる不幸でしょう、シンディックさん。神が風景画だけにとどめておかなかったのは〉