2024年7月16日(火)

偉人の愛した一室

2024年1月8日

 いまは観覧が許される大観邸は、立派な門構えを備えた京数寄屋風建築である。採光を兼ねた内庭が設けられた1階には、客間が三間あり、中の一つが大観が愛した「鉦鼓洞」である。廊下から階段を3段ほど上がると、一間半の床付き、京間十畳の凝った空間に出迎えられる。中央に囲炉裏が切られ、煤竹と萱で葺かれた寂びた天井からは自在鉤が吊るされ、大釜が掛けられている。ひときわ目を引くのは、床に隣り合わせて設けられたガラス扉がはまった展覧スペースで、中には不動明王が鎮座している。あまり例をみない全体の設えが、違和感なく感じられるところに大観の美意識の高さが感じられる。古格でありながら斬新──。

大観の愛した「鉦鼓洞」は窓の下半分がガラスになっており、座っていても庭を観察できる。客人をもてなしただけでなく、日が暮れて絵を描き終えると、夜な夜なこの部屋で大好きな酒を飲んでいたという

 庭に向かう2面は開放的なガラス戸となり、明るい陽射しと豊かな植栽が目を楽しませれくれる。茶庭と枯山水を調和させた庭の中央には疎水が渡され、梅、桜、モミジの他、ツツジ、紫陽花までが植えられている。奥には細川護立侯爵から贈られた大岩が。代表理事の横山浩一さんが解説してくれる。

観察用の植物が多く植えられた庭は敷石の形や配置まで工夫されており、実際の広さ以上の奥行きを感じる

 「この庭はあくまで大観が自然を観察するために造ったものです。季節による微細な移ろいを、日々、鉦鼓洞から凝視していたといいます」

 来客を鉦鼓洞に招じ入れ、美しい庭園と、囲炉裏で燗づけした酒でもてなしたという大観だが、あくまでも作品のための庭園であったのだ。

照明や欄間のデザインが部屋ごとに異なっており、大観の建築面でのセンスを随所に感じられる

畢生の大作
「生々流転」誕生

 朦朧体によって大観が目指したものは何だったのか。それは、豊かな四季と湿潤な気候によって生み出された日本の風土、それを画布に定着させんとする飽くなき挑戦とも言えようか。その集大成となったのが「生々流転」であろう。

 23(大正12)年、スケッチを兼ね、静子夫人を伴って山梨の昇仙峡を旅した大観は、3月に小下絵を描き終えるや、5月までに本画約20メートルを描くも、最初からやり直し、8月にかけて一気呵成に大作を完成させていった。9月1日の公開になんとか間に合わせたその日、大震災が東京を襲う。かろうじて難をのがれた長さ41メートルもの絵巻とは──。

 山間の一滴の雨は谷に集って渓流となり、川となり、やがて大河となって海に注ぎ込む。波濤豊かな海の光景は、やがて、群雲が龍となって天に昇る姿へと変化してゆく。日本の風景を水が流転してゆく様を雄大に描き、雪山も新緑も紅葉も、すべては墨一色の濃淡で表現される。連なる山々と岩肌、それを蔽う豊かな木々、里山や川べり、或いは海辺には、人々の営みが深い慈しみを込めて描き込まれる。見つめていると、知らず、涙が流れてくる。森羅万象、すべてに始まりがあり、終わりがあり、また始まりへと戻ってゆく、その悠久の流れをつかみ取ろうとする画家の執念が漲る。畢生の大作と呼ぶにふさわしい圧倒的な力──。

 終戦の年の空襲で焼けた邸宅は、数年かけて資材が集められ、元の姿で再建された。アトリエにあてられた2階からは、青雲の志を抱いて過ごした上野の山、さらには風光明媚な不忍池が望まれただろう。終生、この地にこだわった訳も窺えた。

陽の光が射す2階の画室には、大観が使用した画材や火鉢が当時のままの形で残されている
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Wedge 2024年1月号より
世界を覆う分断と対立 異なる者と生きる術
世界を覆う分断と対立 異なる者と生きる術

ハマスのテロ行為に端を発する「イスラエル・ガザ紛争」。イスラエルの自衛権行使は激化し、世界を二分する論争が巻き起こっている。この紛争に世界は、日本はどのように向き合っていくべきか。また、異なる価値観から生ずる「分断」や「対立」が世界を覆い、〝パラレルワールド〟が広がっている。怒りや憎しみ、誤解を乗り越え、「異なる者」と生きる術を考える。


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