清潔すぎた日本社会が
今は多様性の足かせに
分断以前、旧来の日本社会の本質を射抜いた言葉に「人間教」がある。『「空気」の研究』(文春文庫)などの著書で知られる評論家の山本七平が、1970年代につくった造語だ(詳しくは、私と斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?』新潮選書を参照)。
性別・年齢・地位・階級など、人にはさまざまな相違点がある。しかし「同じ人間である以上、直に会い、腹を割って話し合えばわかり合える」と無自覚に想定するのが、山本のいう人間教の発想だ。
キリストやアッラーといった「共通の神」ではなく、「裸になれば、みな似たような存在」だとする人間観を誰もが信じ前提にすることで、日本社会の安心感は成り立ってきた。
加えて日本の社会は、伝統的に「清潔さ」を重んじてきた分、猥雑さやノイズへの許容度が低い面がある。
在野の日本史家だった渡辺京二に『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)という名著がある。幕末維新期に日本を訪れた欧米人の滞在記の浩瀚な分析だが、彼らが一様に驚いたのは、徳川末期の日本が「アジアでは例外的に、小綺麗な空間」だったことだ。
山本七平が「人間教」と呼んだもののルーツを、渡辺は「心の垣根」と命名している。前近代から清潔で整った社会に暮らしてきた日本人は、相互に心の垣根が低く、「他人」に脅威を感じずに、すぐ打ち解けてきた。しかし、そうした素朴で人なつこい性格は、近代化が進むと正反対に急変する。
長らく世の中は本来クリーンで、理解できない異物は「存在しない」と考えてきた日本人は、明治以降に個人主義を覚えると、一気に心の垣根を上げてしまう。つまりそれぞれバラバラに、当人にとって「不快なもの」を自分の視野に入れまいとし、一度でも違和感を覚えた相手は「この世にいるべきでない人」と見なすようになる。
資本主義が勃興し急速な都市化を体験する際にも、日本では相対的にスラムを形成する度合いが低かった。それ自体は美点だったが、「猥雑であるがゆえに、どんな人間がいてもいい。欠点だらけでもいい」環境を十分体験できなかったとも言える。そのことは確実に、日本を「クリーンだがダイバーシティーのない」社会にしている。
わかりやすい例が、目下のインターネットでありSNSだ。平成期には「多様な意見が芽生え、異なる人とも気軽に話せる場所」として注目された媒体が、まったく逆のものになっている。
ユーザーが「不快な言論や画像は排除し、視界からゼロにすべき」という態度で振る舞い、互いをブロックして、異物と出会わずにすむ「自分好みの空間」をカスタマイズするからだ。