2024年5月20日(月)

Wedge2024年1月号特集(世界を覆う分断と対立)

2023年12月22日

清潔すぎた日本社会が
今は多様性の足かせに

 分断以前、旧来の日本社会の本質を射抜いた言葉に「人間教」がある。『「空気」の研究』(文春文庫)などの著書で知られる評論家の山本七平が、1970年代につくった造語だ(詳しくは、私と斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?』新潮選書を参照)。

 性別・年齢・地位・階級など、人にはさまざまな相違点がある。しかし「同じ人間である以上、直に会い、腹を割って話し合えばわかり合える」と無自覚に想定するのが、山本のいう人間教の発想だ。

「話せばわかり合える」という安心感を失い、日本人の間では異なる意見を持つ相手を全否定する態度が広まっている(KO SASAKI)

 キリストやアッラーといった「共通の神」ではなく、「裸になれば、みな似たような存在」だとする人間観を誰もが信じ前提にすることで、日本社会の安心感は成り立ってきた。

 加えて日本の社会は、伝統的に「清潔さ」を重んじてきた分、猥雑さやノイズへの許容度が低い面がある。 

 在野の日本史家だった渡辺京二に『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)という名著がある。幕末維新期に日本を訪れた欧米人の滞在記の浩瀚な分析だが、彼らが一様に驚いたのは、徳川末期の日本が「アジアでは例外的に、小綺麗な空間」だったことだ。

逝きし世の面影
辺京二 著 平凡社ライブラリー 2090円(税込)
1930年生まれの著者(2022年没)は「昭和の意味を問うなら、開国の意味を問わねばならず、開国以前のこの国の文明のありかたを尋ねなければならぬ」との立場に立ち、異邦人の証言に耳を傾けた。そこには、日本人自身が無自覚でも、西洋人がこぞって注目した当時の日本人の気質や生活様式が描かれている

 山本七平が「人間教」と呼んだもののルーツを、渡辺は「心の垣根」と命名している。前近代から清潔で整った社会に暮らしてきた日本人は、相互に心の垣根が低く、「他人」に脅威を感じずに、すぐ打ち解けてきた。しかし、そうした素朴で人なつこい性格は、近代化が進むと正反対に急変する。

 長らく世の中は本来クリーンで、理解できない異物は「存在しない」と考えてきた日本人は、明治以降に個人主義を覚えると、一気に心の垣根を上げてしまう。つまりそれぞれバラバラに、当人にとって「不快なもの」を自分の視野に入れまいとし、一度でも違和感を覚えた相手は「この世にいるべきでない人」と見なすようになる。

 資本主義が勃興し急速な都市化を体験する際にも、日本では相対的にスラムを形成する度合いが低かった。それ自体は美点だったが、「猥雑であるがゆえに、どんな人間がいてもいい。欠点だらけでもいい」環境を十分体験できなかったとも言える。そのことは確実に、日本を「クリーンだがダイバーシティーのない」社会にしている。

 わかりやすい例が、目下のインターネットでありSNSだ。平成期には「多様な意見が芽生え、異なる人とも気軽に話せる場所」として注目された媒体が、まったく逆のものになっている。

 ユーザーが「不快な言論や画像は排除し、視界からゼロにすべき」という態度で振る舞い、互いをブロックして、異物と出会わずにすむ「自分好みの空間」をカスタマイズするからだ。


新着記事

»もっと見る