2024年11月21日(木)

Wedge REPORT

2023年12月25日

どこへ行く?
日本のAW

 神奈川県相模原市に平飼いで有精卵を生産している養鶏家がいると聞いて、訪ねてみることにした。

 井上養鶏場の創業は1928年。現在の経営者、井上茂樹さんは創業者から数えて4代目になる。

 「うちは60年前から平飼いをやっているが、もちろんAWを意識していたわけではない。もともとヒヨコを売っていた(孵化事業)ので有精卵を作る必要があり、鶏は平飼いでないと交尾しないのだ」

 顧客の減少でヒヨコが売れなくなり、昭和の終わりに採卵事業に切り替えて平飼いの有精卵「さがみっこ」を売り出すと、これが大評判になった。

井上養鶏場で販売される有精卵「さがみっこ」。卵の強度がまるで違う(WEDGE)

 「さがみっこ」は現在「かながわブランド」として認定され、井上養鶏場は「かながわSDGsパートナー」に登録されている。井上養鶏場としては当たり前のことをやっていただけなのに、時代の方が追いついてきた形だ。

 井上養鶏場の飼養羽数は最大で2万4000羽。多段式ではない純粋な平飼いなので、奥行66メートルもある鶏舎で3000羽しか飼えない。ケージ飼いの10分の1である。その代わり、「さがみっこ」は10個で700円する。

 実際に鶏舎を見せてもらうと、6%しかいないのにオスの存在感が強烈だ。オスが一声鳴くと、周囲にいるメスたちが号令をかけられたようにビッと反応する。鶏舎の中央には木くずが敷かれて砂浴びができるようになっており、一段高くなっている両脇には竹のすの子が敷かれ、産卵のための巣箱が設置されている。卵は人間が手作業で集めている。井上さんが言う。

 「鶏は、鳴いて、歩いて、ジャンプして、突っつくのが当たり前だから、平飼いの有精卵が最もナチュラルであることは間違いない。卵の味はエサ次第でどうにでもなるが、鶏のストレスは確実に卵に反映すると思う」

 実際、井上養鶏場の「さがみっこ」は、取材で試食したどの卵とも違った。味というより、卵の強度がまるで違うのだ。黄身も白身もぶりぶりとしていて明らかに壊れにくい。

 科学的なエビデンスはまだないが、人間に何かしらのパワーを与えてくれる感じが濃厚にするのである。

 井上養鶏場は、同じ平飼いでも多段式の卵は使わないマンダリンホテルやアマンホテルなど、外資系の一流ホテルに卵を卸している。こうしたホテルのポリシーがメディアで取り上げられていけば、日本でもAW拡大の速度が上がる可能性はなくはないだろう。

 さて、冒頭でAWはピンとこないと書いた。井上養鶏場の驚異的な品質の卵に出会っても、正直に言って、ピンとこない感じは変わらない。答えはすでにAWの発火点『アニマル・マシーン』の中にあるかもしれない。ルース・ハリソンは序文でこう述べている。

 「本当の効率、あるいは真の進歩というものは(中略)、科学が私たちに提供するために貯え持っているものを、全人類の未来永劫の幸福のために、しっかりとした見識をもって使用することである」

 筆者は「全人類の未来永劫の幸福のために」という一節に、強い違和感を覚える。AWとは、あくまでも人類に貢献するものなのだろうか? こうした発想は、家畜を他の動物と截然と区別して、人間が「利用してよい」動物であると明確に認識していなければ出てこないものではないだろうか。

 つまり欧州発のAWとは、極論すれば、家畜の利用の「仕方」に関する議論なのだ。

 翻って、われわれ日本人には仏教に由来する「不殺生戒」の感覚がある。殺生は、それが有効利用であろうと無駄な殺生だろうと、相手が家畜だろうと野生の動物だろうと、そもそも悪なのだ。殺すまでのプロセスを云々しても、悪が善に転じることはない。

 日本でAWが「いまいち」定着しない根本の原因は、ここにある、と私は想像する。

 結局のところ「人権」や「女性活躍」がそうであるように、動物と家畜は違うのか、家畜の福祉とは何か、なぜそれを向上させる必要があるのかといった本質的な議論を欠いたまま、外圧の高まりやそれに呼応する団体・メディアの力によって、わが国のAWはあいまいなうちに少しずつ向上していくというのが筆者の見立てである。

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世界を覆う分断と対立 異なる者と生きる術
世界を覆う分断と対立 異なる者と生きる術

ハマスのテロ行為に端を発する「イスラエル・ガザ紛争」。イスラエルの自衛権行使は激化し、世界を二分する論争が巻き起こっている。この紛争に世界は、日本はどのように向き合っていくべきか。また、異なる価値観から生ずる「分断」や「対立」が世界を覆い、〝パラレルワールド〟が広がっている。怒りや憎しみ、誤解を乗り越え、「異なる者」と生きる術を考える。


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