済州島武装蜂起の目標は南朝鮮の共産化
北朝鮮労働党が標榜していた“民主的統一国家構想”に呼応して、南朝鮮働党員とシンパの左翼集団が、1948年4月3日に武装蜂起したことが4.3事件の真相である。左翼勢力が北朝鮮と共謀して“38度線以南の共産化”を目論んで武装蜂起したのだ。南朝鮮労働党が金日成やスターリンの指導下にいたことは以下に述べるように明白である。
武装闘争の指導者は金達三(キム・ダルサム)と朴憲永(パク・ホニョン)。金達三の名前は平和記念館でも“済州島出身の青年教師、4月3日に蜂起した集団のリーダー”とだけ至極簡単に紹介されている。
しかし、金達三は単なる青年教師ではない。経歴は筋金入りの共産主義闘士だ。金達三は南朝鮮労働党の地下選挙で“朝鮮人民民主主義共和国の済州島代表”に選出。1948年8月に北朝鮮で開催された人民代表者大会に参加して“済州4.3武装闘争”報告をして北朝鮮功労勲章を授与。
同年9月に平壌の最高人民委員会会議で北朝鮮の憲法制定委員の一人に選出。そのあと武装工作員を率いて、韓国に潜入して韓国治安部隊との銃撃戦で死亡。死後、平壌の“愛国烈士陵”に埋葬された。金達三の義父は南朝鮮労働党宣伝部長で後に北朝鮮に渡り朝鮮労働党幹部になった。
朴憲永も生粋の共産主義者で戦前に朝鮮共産党に入党し、モスクワ共産大学に留学。戦後は、南朝鮮労働党の幹部として金達三に済州島武装蜂起を指示。後に北朝鮮に渡り、朝鮮労働党最高幹部となるが金日成との権力闘争に敗れ処刑。
民主派政権による真相究明のバイアス
『ノブンスンイ4.3記念館』『済州4.3平和記念館』及び、発行しているパンフレットのいずれも被害者目線で米軍・李承晩政権と鎮圧部隊の残虐性を非難し、公権力濫用の危険性を強調して、民主的平和国家を希求すると美辞麗句を並べている。他方で武装蜂起の背景・目的についてはスルー。南朝鮮労働党と北朝鮮との密接な関係や蜂起の目的が南朝鮮の共産革命であることは全く触れていない。
金大中・廬武鉉・文在寅という、いわゆる民主系政権は歴史の清算に熱心で日本植民地時代の歴史問題と保守軍人政権時代の強権政治・人権侵害を批判することで政権の求心力を保持した。同時に北朝鮮寄りの政策を展開して北朝鮮との融和を図った。
民主派政権は4.3事件を李承晩及び、保守軍人政権時代を批判する格好の材料として最大限政治利用したようだ。他方で4.3事件が北朝鮮と密接に関与していたことや、南朝鮮の共産化を目標にしていたことは国民には隠しておきたいタブーであろう。
それゆえ、公式な歴史となる政府系財団の記念館の展示解説やパンフレットから意図的に北朝鮮関与と共産革命を排除して真相を抹殺したものと思われる。
これでは、なぜ事件が長期化したのか? またなぜ鎮圧部隊が虐殺行為を継続したのか? 後世の人々は正しい理解ができない。済州島の武装蜂起に呼応して全羅南道全域で不穏な情勢になり順天や麗水でも反乱が発生している。赤色革命機運の全国への拡大を恐れた為政者が済州島を徹底鎮圧しなければならないほど切羽詰まった状況にあったことが意図的に隠されてしまっている。
光州事件についても同様の意図的な歴史認識操作がなされたのではないか。さらに光州事件の核心の隠蔽が現在に繋がる政治利権構造の温床となっていることを次回に述べたい。
以上 第13回に続く