2024年12月23日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2023年12月10日

『2023.7.3~9.20 80日間 総費用26万円(優待航空券1万5000円含む)』

日曜の朝ママチャリに乗った南アジア系青年たち

 7月9日。水原スウォンから華城ホアソンへ向かうサイクリングロードでママチャリに乗ったバングラデッシュ出身の青年と出会った。来韓して10カ月というが、ハングルは日常会話なら問題ないレベル。近くのアルミ加工工場で働いている。日曜日なので町に買い物に行く途中だった。会社の寮には8人のバングラ出身者が住んでいるという。

 それから1キロも走らないうちにやはり中古のママチャリに乗った南アジア系の青年が3人、4人とグループで走ってくるのに遭遇した。華城市内ではバス停で2人の南アジア系の青年がバスを待っていた。1時間の間に10人もの濃い顔つきの南アジア系労働者を見かけたことになる。

韓国は南米出身者にも門戸開放

ペルーから遥々出稼ぎに来た2人組。故郷には恋人が待っている

 7月20日。益山市市街地のコンビニで南米系の青年2人組がアイスコーヒーを飲みながらスマホを見ていた。近くのガソリンスタンドで働いているペルー出身者だった。インカ帝国の都であったクスコの近くが故郷。1人は恋人からメールの返信が来たと嬉しそうだった。ペルーは経済破綻して治安も悪化して海外で稼ぐしか方法がないという。既に韓国で2年働いているが、契約を延長して5年間働いてお金を貯めてから帰国する計画だ。近くのアパートで共同生活しており毎日順番に夕食を作る。

 なぜ日本ではなく韓国を選択したのか? と、聞くと日本での就労は日系ペルー人以外には条件が厳しいので最初から対象外だったとのこと。なるほど日本政府はブラジル、ペルー国籍でも祖先が日本人であることを条件に就労を許可しているが、日系人以外は実質シャットアウトしているらしい。

木浦港のインドネシア人漁船員

避難してきた漁船。木浦港は天然の良港であり日本統治時代に国際貿易港として発展。日本人町には商家が並び劇場、料亭、銭湯、そして遊郭まであった

 8月8日。台風襲来で避難してきた漁船で木浦港は満員御礼状態。町には上陸した漁船員が溢れていた。コンビニにアジア系漁船員がひっきりなしに飲み物やお菓子などを買いに来る。店内のイートインや屋外のテント下のテーブルで陽気におしゃべりしている。

 彼らの大半がジャワ島出身のインドネシア人だった。5年契約で漁船に乗り組んでいる。木浦または全羅南道の役所がインドネシアの政府機関と直接漁船員を斡旋しているらしい。

 翌日木浦港を散歩していると昼時に漁船の甲板で韓国人とインドネシア人が車座になって食事をしていた。魚の煮つけ、焼き肉、野菜料理などが韓国風に大皿に盛ってある。大盛りご飯を片手に大皿に箸を伸ばしている。和気藹々、海の男の豪快な食事風景だ。

漁船の甲板で車座になって漁師飯を囲む韓国&ネシア乗組員

夕暮れの田舎道を三々五々と歩く外国人労働者

 8月11日。木浦と珍島の中間あたりのヘナン郡の農村の東屋にテントを設営した。東屋の横の砂利道は意外に人通りが多い。しかもほとんどが外国人だ。数百メートル先にスーパーマーケットがあるので買い物の行き帰りのようだ。

 テント設営中の30分ほどの間にバングラデッシュ、インド、キルギスタンなどなど30人以上が通りかかった。港湾の拡張、高速道路延伸などの工事現場が付近にあるのでそこの建設労働者のようだ。


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