2024年11月21日(木)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2024年1月16日

 原発の新設について地元住民の理解を得ることは再稼働より一段と困難であり、長い時間がかかることは間違いない。他方、温暖化対策が待ったなしであることもまた間違いない。この困難な状況の解決に大きな影響を与えるのもメディアの論調であり、それが世論を決めることになる。

情報を発信する側の責任

 「能登半島地震は人工地震だ」などの陰謀論、「家族が下敷きになっている」、「外国人窃盗団が来ている」などの偽情報、東日本大震災時の津波の動画を今回のものとするねつ造などSNSには多くのフェイクニュースが飛び交い、岸田文雄首相は国民に注意を呼び掛けた。

 これらがフェイクニュースであることは少し調べればわかることであり、だから注意すれば避けられる。分かりにくいのはメディアの2つの偏りである。

 その一つは目の前の危害の状況だけを報道し、その背景にある発生確率について報道しないことである。危害を避ける判断は危害要因の恐ろしさだけでなく、それに出会う確率、すなわちリスクの大きさを根拠にすべきだからだ。発生確率が低いことを伝えると対策がおろそかになるという意見もあるが、恐ろしさを過剰に伝えて無用の不安を大きくすることの被害も考慮しなくてはいけない。

 もう一つは、メディアは中立公正を旗印にしているにもかかわらず、憲法問題や原発問題では一方に偏った考え方を持ち、これが報道に色濃く反映されていることであり、そのような事実を十分に認識せずに「新聞に書いてあるから正しい」と信じる人が少なくないことである。新聞の大きな影響力を誤用しないために、新聞倫理綱領には「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」と規定されている。メディアにはこの文言に従って名実ともに中立公正な報道をすることが求められる。

 それができないのであれば、米国などのようにメディアはその政治的信条を明確にすることで読者に選択の自由を与えることも考えられる。しかしそれは米国のように国論の分断を推進することにもなりかねない。

 情報を受け取る読者には、多くの報道を読み比べて意見の相違を知るなどのメディアリテラシーが求められるが、それは簡単ではない。情報を発信する側の責任とはなにか。この問題を改めて熟慮する必要がある。

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