能登半島地震は、交通・通信の遮断という地域的特性や全国の行政機関が正月休み中の発災という時期的特性を見せた。被災地の窮状が具体的に判明しなかったこともあり被災者救援の動きが遅いように見えたが、その後ようやく動き出した感がある。
各種防災機関はもちろん、全国の自治体や市民も支援活動に動いているが、これからの支援において自治体や市民に何が求められているか。被災地によって必要とする支援の内容は異なるが、過去のたくさんの災害からの教訓をまとめておきたい。
メディア報道はあくまで断片
今回の地震についても水が足りないとか電気が来ないなどという断片的な報道が氾濫しているが、救援ニーズは地域によって違う。メディアの報道はあくまでも断片なので、救援側がそれが普遍的なものだと思い込んでしまうと大量のミスマッチが生ずる。
2011年東日本大震災のとき、筆者ら東京災害ボランティアネットワークは、縁のあった宮城県登米市の旧保健センターの建物を借りて東京から来るボランティアの宿泊拠点とした。最大で80人くらいを収容できた。
個人ボランティアは受け付けず、グループや団体のボランティアのみを受け付けた。登米市は被害が小さかったものの、隣接の南三陸町等では大きな被害に遭っていた。
最初にあった救援ニーズは自動車である。被災者は自分の車を津波で流されていた。現地ではガソリンが届かずスタンドも機能していなかった。
そこで東京から来るボランティアには、なるべく被災者に提供できる車を運んでくるよう依頼し、これらの車を満タンにして被災者に使って頂いた。被災者はこれらの車を肉親探し等に利用していた。当時、現地のガソリン不足は報道されたが、車不足は報道されなかった。
今回の被災地では半島特有の地域特性により道路が寸断されたり橋が壊れている地域が多い。だから全国の自治体は、物資を提供するなら車ではなく警察や消防のヘリで、あるいは民間ヘリを雇って運ぶこともあり得る。ちなみに東京都では警察・消防合わせて20機以上を保有する。
同じく東日本大震災のとき、発災から3~4週間くらい経ったころ、気仙沼市で思わぬ出来事があった。漁港の冷凍庫が津波で破壊され中身の魚類が川を伝って大量に山間に運ばれ、腐敗して悪臭を放っていたのだ。これは京都からきたボランティア団体の人たちが回収、消毒、埋め立て処理した。