2024年12月22日(日)

田部康喜のTV読本

2024年1月10日

 能登半島地震の被害や死傷者の数やインフラの被害が日を追って深刻化している。東日本大震災を彷彿させる大災害である。阪神・淡路大震災、関東大震災までさかのぼれるだろう。大震災が起きる直前に新しい通信技術が普及を始めたことは歴史の皮肉といえる。新技術は弱点を抱えていたのである。

震災の経験とともにテレビの報道も変わっている(AP/アフロ)

 メディアの震災に対する取材体制も、新聞は部数と広告の減少によって取材拠点を縮小しつつあるなかで今回の能登半島地震を迎えた。公共放送としてのNHKはその責任から1月1日の地震発生直後から一貫して震災報道を継続した。民放キー局のなかではTBSがかなり報道体制をとった。日本テレビもかろうじてそれに続いた。しかし民放キー局は次第に通常番組の編成に戻っていった。

災害被害と情報技術

 関東大震災から2023年は100年、実はラジオ放送は25年に100周年を迎える。つまり大震災の後に新しいメディアが日本に登場した。

 「関東大震災の前にラジオがあったなら、風評によるさまざまな出来事は完全に防げなかったとはいえないが、幾分なりともその規模は抑えられたのではないか」と、いわれる所以である。

 「JOAK.JOAKこちらは東京放送局であります」――。1925(大正14)年3月22日、ラジオ局のコールサインで始まった電波は、港区の愛宕山から発信された。愛宕山標高約26メートル(m)で東京市(当時)の区内では最高であり、ここにアンテナが建てられたのである。

 関東大震災は23(大正12)年9月1日、マグニチュードM7.9。死者・行方不明者は約10万5000人に上った。当時の日本の国内総生産(GDP)の約37%が失われた。

 「ラジオがあったら」という発想が正しかったかどうかは想定が難しい。そもそも当初のラジオの価格は極めて高価で普及は進んでいなかった。さらに、今回の能登半島地震とこれまでの大災害を乗り越えて、新しい技術が耐えて、情報を国民に発信できたのかという問題に直面する。

 ラジオもテレビもスマートフォンの電波も各地に建てられた基地局とアンテナが倒壊しては地域の情報を発信できなくなるのである。基地局を結んでいるのは光通信回線であるが、これが切断した場合も同様である。

 総務省によると、NTTドコモ、au、ソフトバンク、楽天モバイルの4社で6日午後2時時点603局の基地局が停波した。非常用電源のガソリンがなくなったことが大きい。

 テレビ局も石川県内の4局の共同基地局が同様の理由で停波に追い込まれ、輪島市内の約5500世帯が4日から視聴ができなくなった。NHKは2日に輪島市内向けのTVとFMの基地局が電源切れで停止し、約700世帯で視聴が不可能になった。


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