伊藤忠商事人事・総務部の島村優大氏は「これまでも積極的に健康経営を展開してきたが、睡眠にはアプローチできていなかった。抱えていた課題と連携の話がタイミングよく重なった」ときっかけを話す。今回の検証に先立って行われた、37人を対象とした小規模な事前検証では、約13.5%の参加者に睡眠課題が見つかったという。
同社の永瀬理絵氏は「体験した社員からは『いびきをしていたことが分かり、それまで無自覚だった睡眠課題を認識できた』という声があった。睡眠時は無意識なので、測定して事実を把握してもらうことの重要性を感じた」と評価する。
事前検証を通じて自身も寝具を見直したという島村氏は「プライベートでやってみようという社員は少ないかもしれないが、会社として個人の不安や要望に応えられる『選択肢』を用意することに意義がある」と強調する。
「たかが睡眠」と侮るなかれ
経営の改善へ行動変容を促せ
睡眠の重要性をいくら説いたとしても、行動変容につなげる最終判断はどうしても個人に委ねられてしまう。SNSやサブスクリプション(定額課金)型の動画配信サービスなど、娯楽の多様化は「休む」選択肢の中から「睡眠」を選ぶことを難しくしている。企業が社員の行動を強制することが現実的ではない中で、行動変容を促せる余地はあるのだろうか。
行動経済学が専門の大阪大学の佐々木周作特任准教授は「睡眠データと就労時間などの社内データを結合すれば、例えば、福利厚生の中に睡眠に関連するサービスを設定することで、一人ひとりの生活様式に合致したきめ細やかなリコメンデーションができる。企業の睡眠支援には大きな可能性があるが、そのようなデータ活用に最初は戸惑う人もいる。『〇〇人の社員が既に利用しています』など、情報提供を工夫しながら新しい技術への心理的障壁に対処する必要がある」と提言する。
前出の山本教授は「睡眠不足の解消が個人の生産性を向上させ、従業員の睡眠の長さや質の良さが企業の利益率を高めるという研究結果は既に出ている。経営者は『たかが睡眠』と侮ることなく、『経営を改善する』という発想で睡眠を捉え直すことが必要だ」と語気を強める。
これはオフィスワーカーに限ったことではない。前出の井原教授は「対応は簡単ではないが、トラック輸送をはじめとする物流業や人命を預かる輸送業など、シフト勤務で休息が不規則にならざるを得ない業務に従事する人たちの睡眠管理、改善は喫緊の課題だ」と語る。夜勤中の最低限の仮眠や各種睡眠デバイスによる自己管理など、事業者が見直す余地はあるはずだ。
昨今、その必要性が叫ばれる「働き方改革」は〝休み方改革〟と捉えることもできる。世代を超えて日本人に受け継がれてしまっている、長時間労働を美徳とする風潮を改められるか。従業員の「睡眠」に気を配ることこそ、人的資本経営の〝本丸〟である。