2024年2月21日(水)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2024年2月8日

不十分になりがちな買収前の「精査」

 1つ目は、買収提案を行った後に、買収を完了させるまでの「精査」の重要性である。この「精査」のことは、M&A業界ではデュー・デリジェンス(DD)という。

 例えば、Aという日本企業が、Bという外国企業を買収し、過半数の議決権を獲得して支配するとともに、Bを連結対象法人として組み入れ、AとBの協業によるメリットを追求しようと判断したとする。

 国境を越えた企業買収に際しては、財務、法務両面にわたる複雑で多角的な検討が必要となる。例えばBの属する国が外国資本によるその業種の過半数支配に条件をつけている場合がある。そうした場合にはその国の監督官庁との折衝が出てくるし、買収に条件がつくかもしれない。買収後もBの少数株主があれこれ文句をつけてくるかもしれないので、その国の商法や証券取引の慣行についてのアドバイスを得ることも必要になる。

 こうした調査も広義のDDに含まれるが、とにかく複数国の諸制度にわたる専門知識が必要なプロジェクトになるので、優秀な投資銀行を指名して幹事になってもらうことになるし、日本側、また相手国側でも弁護士事務所、会計事務所を採用して、投資銀行を軸に買収側はチームを組んで対応してゆく。

 その場合に、一般的に法務や財務会計の部門は「一生に何度かしかないビッグ・プロジェクト」だとしてやる気になることが多いようだ。投資銀行の側も、法律論や財務の問題でケチがついてはいけないので、こうした分野では優秀なバンカーを投入して来る。問題はDDにおいて、現業部門からの精査が不十分で終わるということだ。

 平和的な買収であればもちろん、敵対買収の場合も最後のある期間においては、現業の精査を行う機会が与えられることが多い。つまり、買収側の企業が、買われる企業に対して厳格な「機密保持協定」を結び、その代わりに買われる企業は基本的に経営の何もかもを買収側に見せるというものだ。

 例えば製造業の場合に、買われる企業が公害問題などの潜在リスクを抱えていた場合に、買収でオーナーが変わったからといって責任が消えるわけではない。欧米の法律はそのような建付けになっており、そうしたリスクを回避するためにも、買収完了前に徹底した精査が必要であり、また可能としているのである。

 今回の問題は、そもそも長年にわたって業務提携がされ、徐々に持ち株を増やしていって完全子会社化したのであるから、DDを行う権利も時間も富士通に十分あった。そもそも勘定系のシステムで現金残高が合わないなどというのは、初歩的なミスであるし、実用化の前にテストランを繰り返せば発見できる性質のものだ。ICLという企業には、そのような品質管理のノウハウが薄く、この種の問題を起こす体質であったということは、過半数を支配する前でもDDで明るみに出しておくべきであった。

契約書は芸術作品であり、格闘技でもある

 2点目は、契約書の内容だ。富士通がICLを実質子会社化すれば、以降の経営責任は富士通に来る。そして法律上は、買う前の、つまり今回のような問題についても富士通に責任が来る場合が多い。だが、それはあくまで一般的な制度の問題であって、企業買収時の契約というのはもっと複雑である。

 仮にDDにおいて、どうしても不明な点があり、買った後で問題になりそうであれば、そのリスクを回避するような契約条件を突きつけることは可能であったはずだ。問題は、単純な売買契約や、賃貸契約、雇用契約などと違って、企業買収の契約というのは全体から細部に至るまでがオーダーメードであり、その細部に大きなリスクもある一方で、買収側に有利な条項を忍ばせることも場合によっては可能である。


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