2024年11月26日(火)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2024年3月1日

 軍はカーンを気心の合う人間と当初見做していたが、程なくして彼の根強い人気、自由奔放な外交政策、敬意の欠如に、始めは苛立ち次いで我慢出来ないこととなった。カーンはますます反米に傾き、バイデン政権を苛立たせた。

 ロシアのウクライナ侵攻後、彼はモスクワにプーチンを訪問した。その間、パキスタンの民主主義あるいはその残骸に対する米国の無関心さの印象は避け難いものとなった。

 どのような連立政権がまとめ上げられようと――最も有りそうなのは反PTIの政党の支持を得てシャリフが率いる政権であろう――その正統性の問題に苦しむであろう。パキスタン経済は壊滅状態にあり、国際通貨基金(IMF)の緊急支援に頼っている状況であるので、更なる不安定性が最も有りそうな結果である。

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絶たれなかったカーンの政治生命

 議会下院の選挙前にはパキスタンの次の首相はナワズ・シャリフだと思われていた。彼は汚職事件で有罪判決を受け、ロンドンで4年の事実上の亡命生活を送っていたが、昨年10月に帰国した。そして、1月8日、最高裁は汚職事件を巡って公職資格を剥奪した2018年の最高裁の判断を取り消し、政治への復権を認めた。

 シャリフが4度目の首相に復帰するためのお膳立てが整いつつあるように見えた。彼には軍の支持が保証されていた。他方で、軍が敵視するイムラン・カーンは牢獄につながれ、彼の党PTIは軍の圧力で空洞化を余儀なくされ事実上解体されていた。

 しかし、シャリフと彼の党PMLNの勝利は確実という予測は見事に外れることとなった。稀に見る軍に対する打撃というべきであろう。

 22年4月に首相の座を追われて以来、カーンは早期の総選挙を要求し、もって政権に復帰することを狙い、大衆を動員し街頭に出て政権と軍に圧力をかける行動を継続して来た。その過程で抗議デモが暴徒化して、遂には軍に彼と彼の党PTIを弾圧する口実を提供したかのように思われた。

 しかし、カーンの政治生命は断たれたわけではなかった。PTIの支持者達は無所属として選挙戦を戦った。種々の選挙干渉にかかわらず、彼等は軍を後ろ楯とする既成政党(PMLNとPPP)の政治に対する不信を突き付けることとなった。


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