1959年までには、食糧不足が地方で起こり始めた。収穫は都市に吸い上げられてしまうので、農村では食糧不足は拡大し、飢餓が蔓延するようになった。批判する役人達は追放され、恐怖政治の雰囲気の中で、政策は継続され、大惨事が積み重なって、ようやく毛沢東は政策を放棄した。
元中国国防大学の歴史家は、「数字に関して学者間で意見の相違があっても、大躍進で大災害がもたらされた事実に変わりはない」と述べた。彼は、在職中の殆どを毛沢東時代の研究に費やしたが、彼の推定では、約3000万人が異常な死を遂げた。
72歳の歴史家で元新華社通信の記者Yang Jisheng(揚继绳)氏は、大躍進と飢饉の研究を『墓碑』(Tombstone)と題する本にまとめた。2008年に香港で中国語版が出版され、改定縮小・英語版が2012年に出版された。中国国内では発売禁止であるが、海賊版などで広く読まれている。この研究によって、彼は、長く中国国内で攻撃されて来た。
Yang氏によると、大躍進による暴力と食糧不足による死者数は3600万人に上る。彼は、50年以上前の大飢饉を否定するような動きは、最近の懸念すべき政治状況の嫌な前触れである、と言う。「共産党の支配を護るには、何千万人が飢饉で亡くなったことを否定しなければならないのだ。党指導部は社会的危機を感じていて、その支配的地位を護るのは喫緊の課題である。それで過去の真実を回避する必要があるのだ」とYang氏は語った。
習近平の父、Xi Zhongxun(習仲勲)は、毛沢東の同僚であったが1962年に追放され、16年間の刑に服し、政治的屈辱を味わった。しかし、習近平は、家族の思い出ではなく、政治的判断によって、過去と向き合っている、と『墓碑』英語版の編者であるエドワード・フリードマン(ウィスコンシン・マディソン大学名誉教授)は言う。
1月、習近平は、役人達に、毛沢東の業績に疑問を持ってはいけないと訓示した。彼は、政治的たがを緩めることの代償として、繰り返し、ソ連崩壊を例に挙げた。
4月には、党支配への7つのイデオロギーの危険を明示した指令を発出した。その中には、「歴史ニヒリズム」が含まれる。すなわち、党の実績を批判して、「中国共産党の長期支配の正当性を否定すること」である。