取り残された 黒人貧困層
デトロイト市の人口動態を分析すると、面白い現象に気付く。下の図を見ると一目瞭然だが、デトロイト市内の白人比率は年々低下してきた一方で、黒人比率は年々上昇した。50年代の白人比率は80%を超えていたが、現在では完全に逆転し、80%超が黒人となっている。
デトロイト市が華やかなりし頃、「デトロイトに行けば職がある」とアメリカ国内から多くの労働者がやってきた。海外からの移民もおり、実際、取材をしている中でギリシャ、バングラデシュ、パキスタン、ポーランド系のアメリカ人と出会った。だが、移住者の圧倒的多数はアメリカ南部で差別に苦しんでいた黒人であった。彼らは市内に居を構えた。
しかし、白人優位の差別政策に黒人が反発し、67年に大規模な黒人暴動が発生した。以来、「ホワイトフライト」と呼ばれる白人の郊外移住が加速した。「モーターシティ」らしくデトロイト周辺地域にはハイウェイが整備され、郊外とのアクセスは良好であったが、皮肉にもこれが郊外化を助長した。企業も安価で広い土地を求め、郊外へ去っていった。
富裕層や企業の郊外化はデトロイト市の税収減に直結した。だが、市はコスト削減ができず、財源不足を補うため税率を周辺自治体よりも高く設定した。高税率は更なる富裕層や企業の郊外移転へと繋がった。さすがに行政サービスにも着手せざるを得ず、警察官や消防士を減らした結果、治安も悪化した。治安悪化は更なる郊外化へ繋がり、脱出困難な負のスパイラルへ陥った。
60年代から始まった白人の郊外化であるが、その流れは白人だけにとどまらず、所得のある黒人も続き、ついにデトロイト市は黒人貧困層の町となった。