「ウィルクック」を
生み出した母心
「必要は発明の母」と言われる。ウィルクックの発想の起点となったのは、ウィルテックス最高技術責任者(CTO)の上田彩花さんが、野球をしている子どものために冬でも「温かいお弁当を食べさせたい」と考えたことだ。発熱布があれば、寒いときに外でもお弁当を温められるという発想だ。
当時上田さんは、繊維系の会社を退職してハードウェア設計会社に転職していた。上司から「新商品のアイデアを出してほしい」と指示されたことがきっかけだった。これを実現できないかとヒアリングを続ける中で、「江戸川区に三機コンシスという会社があるから、そこを訪ねてみるといい」と教えてもらったことが端緒になった。そのとき思い出したのが、繊維系の会社で上司だった木村浩さんだ。
木村さんは外資系を中心に繊維業界を渡り歩いてきた「布のプロ」。木村さんなら興味を持つかもしれないと考え、誘ってみると、木村さんからは「そんなの無理に決まっている。僕だってそんな布があれば良いと思ってチャレンジしたことがあるが、やっぱり無理だった」という反応だった。しかし、木村さんは、三機コンシスを訪問して、自分が間違っていたことを知る。
三機コンシスは、空調設備の会社として1963年に創業した。今でも本業は「空調」だ。「技術開発・製造を『自由』に追求し、世の中を豊かにしていく」というモットーが創業者で会長の松本安正さん以来、引き継がれている。現在の社長、息子の松本正秀さんはダイキン出身。ダイキン時代は、空調ではなくシステムエンジニアだった。
三機コンシスに移籍後は技術開発・製造を「自由」に追求した。面状ヒーター開発のきっかけは、当時ブームだった熱帯魚飼育の水槽が阪神淡路大震災で倒れ、ヒーターが原因で多くの火災が起きたことだ。この解決のため棒状ではなく面状ヒーターを開発。面だと設定温度を低くできるので水槽外部に貼り付ける「フィルム型ヒーター」を完成させた。だが価格が3万円で、バブル崩壊後の熱帯魚ブーム終焉で販売は伸びなかった。
そのころある展示会に出展していたところ、複数の来場者から「服の生地のような柔らかいヒーターはないのか?」と言われて「布ヒーター」の必要性に気づいた。当初は炭素繊維を使った織物にしたが、均熱性と柔らかさがなく、銀繊維を「織物」ではなく「編み物(ニット)」とすることで布全体が優しい温かさと柔らかさとなった。
ただし、ニットの編み方が安定しなかった。外部に委託していたこともあったが、銀の糸をニットに編むと、編み機の針がすり減り、折れることもあるので、こころよく引き受けてくれる会社がいなかった。
そのため、自ら編み機を入手することを考えた。江戸川区の地域はかつて縫製業で栄えていたが、海外移転や廃業する会社が多く、機械が廃棄されてなかなか入手することができなかった。そんな時、何度か頼んでいた工場が廃業するということで編み機を譲ってもらうことができた。
なかなか売り上げに貢献することはなかったが、創業者の父親は「やり続けろ」と、背中を押してくれた。それが可能だったのも「空調」という本業があったからで、まさに「両利きの経営」を実践していたわけだ。
2015年「HOTOPIA(ホットピア)」として商標登録。「温まる布」を産業材料として発売した。そして、手術室で体温維持ができるシート状医療機器を作った。それは、患者に触れる部分の温度は均熱であることが必要だからだ。それまでは温風式ヒーターを使っていたが、排気により手術室に強い気流が発生し、手術の邪魔になることもあったからだ。
ただし、出荷先はニッチな用途にとどまっていた。そんなときに現れたのが、先述の上田さんと、木村さんだった。18年のことだ。