安倍晋三首相が、就任1周年に当たる12月26日に靖国神社を参拝した。これに対して、国内外からすでに厳しい批判がわき起こっている。今回の参拝は決して「電撃」ではなかった。秋以降首相周辺から年末参拝の情報は流れており、ある意味既定路線だった。それでも、環境さえ整えば参拝を見送る可能性はあったはずだ。では、なぜ参拝を見送る環境が整わなかったのか。まずこの命題に答えることが、これからの日本の外交を立て直すために不可欠だろう。
強硬姿勢を強める中韓に「失望」し、
参拝に踏み切ったか
安倍首相は、靖国参拝は心の問題なので、外交問題になること自体がおかしいと繰り返し表明していた。第一期政権で靖国を参拝できなかったことを「痛恨の極み」とし、任期中の靖国参拝を「国民との約束」と考えていた。外交上の配慮から首相や閣僚が靖国神社に参拝できない現状の固定化を避けたいと考え、参拝するタイミングを見計らっていたのだ。
それでも、安倍首相は再登板後も対外関係に配慮して参拝を見送り、終戦記念日や春と秋の例大祭の際に、真榊(まさかき)や玉串料を奉納するにとどめてきた。仮に中韓がこれを評価し、歩み寄りの姿勢を見せていれば、安倍首相も中韓との首脳会談を実現するため年末の靖国参拝を見送らざるを得なかっただろう。しかし、中国や韓国は安倍首相の自制を評価するどころか、歴史認識や領土問題をめぐって強硬姿勢を強めるだけだった。
安倍首相としては、靖国参拝を自制し、対話を呼びかけても、中韓が反日的な立場を強めるだけだったことに失望し、今回の参拝に踏み切ったのだろう。つまり、中韓との関係は今が「底」であり、靖国に参拝しても中韓との関係で失うものはないとの判断につながったと考えられる。中国が東シナ海に防空識別圏を設定したことや、南スーダンで国連平和維持活動(PKO)に従事する韓国軍への弾薬の提供が評価されなかったことも中韓へのさらなる不信につながり、参拝を見送るという選択肢をより遠ざけたことだろう。
安倍首相の信念を過小評価したオバマ政権
日米が同盟管理に失敗したことも、参拝を見送る環境作りが整わなかった一因だ。アメリカ側は安倍首相の経済再生や同盟強化への取り組みは評価しつつも、その歴史観には懸念を持っていた。このため、アメリカ側は官民を挙げて、靖国参拝を自制するように強く求めていた。安倍首相が靖国を参拝すれば、日中・日韓関係がさらに悪化し、北東アジアの安全保障環境がより厳しいものになることを懸念してのことだ。