2024年11月22日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2024年9月29日

戦時捕虜の待遇に関するジュネーブ条約を日本軍が無視した背景

 捕虜の待遇を規定した1929年のジュネーブ条約に日本は署名したものの批准はしなかった。理由は海軍が作成した反対文書に明記されている。帝国軍人は生きて捕虜にならない教育を受けている、従って日本のみが外国人捕虜を厚遇する片務条約となる、第三国の代表と捕虜が接見すると軍機が漏れる、さらに条約上の外国捕虜への罰則規定が日本軍の罰則規定よりも緩く日本の軍紀が乱れると指摘している。

 ちなみに太平洋戦争が始まると米英から外交ルートで捕虜の取り扱いについて照会があり日本政府は苦し紛れに“ジュネーブ条約に準拠した待遇をする”と曖昧な回答をしている。

 こうした背景から確固たる捕虜待遇方針がないまま皇道的武士道精神と戦陣訓に由来する捕虜蔑視の風潮が軍部末端まで浸透したことが捕虜虐待・虐殺を惹起したと思われる。

特攻隊やサイパン島や沖縄の民間人の集団自決も戦陣訓の呪縛なのか

 筆者は今年のNHKの終戦記念日特集で恐ろしい事実を知った。サイパン島に米軍が上陸して日本軍が壊滅状態になった時に東京の大本営の幹部が“サイパン島の邦人同胞は日本軍と共に全員見事に玉砕して日本精神を全うして日本国民の範となることが望まれる”という趣旨を発言したというのだ。

 あるメディアでは当時の軍上層部の発言として“特攻による体当たり攻撃では戦局を転換できないだろうが、日本国民に命を捨てても国を守るという玉砕精神を植え付ける効果がある”という趣旨を伝えていた。

 そして戦争末期のメディアは挙って特攻や玉砕を賛美する報道をして国民を一億総玉砕に駆り立てた。ネットで当時のニュース映画の映像が公開されていた。サイパン島で最後のバンザイ突撃により日本軍が玉砕したことを昭和19年7月18日17時のラジオ放送で大本営発表する海軍報道部長以下の姿があった。『7月7日早暁より最後の攻撃を敢行、敵を蹂躙し勇戦力闘、敵に多大の損害を与え16日までに全員壮烈な戦死を遂げた……在留邦人は終始軍に協力し戦い得るものは敢然戦闘に参加し将兵と運命を共にせる……』と報告し今後の日本国民の一致団結と奮闘を促す言葉が続いていた。

 さらに神社の境内で国民学校の全児童を前にサイパン島の玉砕を伝える訓導(教諭)が映し出された。『皆さん、サイパン島の将兵は全員壮烈な戦死を遂げられました……在留邦人も全員軍に協力し、運命をともにしました……我が校ではサイパン国民学校から転校してきた●●君と〇〇君を迎え……皆さん、我々は驕れる米英を撃滅して復讐しなければいけません。私達はこの誓いを八幡様の前に本当に心からお祈りを捧げてお誓いをしたいと思います』と呼びかけていた。

 こうした国家による皇道的武士道の洗脳と玉砕の強要こそが沖縄など各地で民間人の集団自決の悲劇を生んだことを忘れてはなるまい。

 ひるがえって近代の国家間の戦争で民間人が組織的に集団自決した事例は筆者が知る限り太平洋戦争おける日本だけである。日本は国家が民間人を巻き込んで集団自決に追い込むという世界史的に極めて異常な軍国主義国家であったのだ。

以上 次回に続く

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