ペットの孤独死
この点は、私たちの身近な存在である飼い犬や飼い猫にも共通している。ペットは、その多くが飼い主の家のなかで、孤独死する。彼らもまた、命が尽きる直前には隠れられる場所を選び、誰に看取られることもなく、ひっそりと息を引き取ることが多い。
飼い主が外出中や寝ている間に、ベッドの下や家具の隙間で静かに命を終える。飼い主一家に見守られながら息を引き取るというような、感動的なシーンはめったにない。気が付いたら死んでいるのである。
死の間際になると隠れようとするのは、動物の本能である。飼い犬や飼い猫は、生涯のほとんどを飼い主家族と一緒に暮らしている。その結果、社会性も身について、どうすれば、かわいがってもらえるか、どうすれば食べ物をもらえるかなどに習熟する。文字通り「愛玩動物」であるから、どうすれば人に愛されるか知っている。
しかし、生涯の最期にあっては、動物としての本能の方が強く表れる。飼い主に配慮などしていられない。ともかく、だるくて、眠くて、動きたくないのだから、愛嬌を振りまいていられない。飼い主にとってはつらいであろうが、おそらくは、「放っておいてくれ」というのが猫、犬の本音であろう。
「愛玩動物」として、飼い主たちに愛されるために生き続けてきた、彼らにしても、最期は「一個人」ならぬ「一個犬」、「一個猫」として、野生に帰る。そして、自然の摂理に身を任せて、生涯を終えるのである。
孤独死は、「孤高の死」でもある
人は、孤独死をことさらに憐憫の対象としたがる。人間は弱いもので、自分より哀れな者、惨めな者を見つけたがる。その人との比較によって、本当は情けない自分を、それでも何とか持ちこたえさせようとする。
しかし、孤独死に関しては、大きな誤解がある。そもそも、独居高齢者が皆、淋しくて、辛くて、悲しい存在ではない。そのように見なすことを、大きなお世話だと感じる、誇り高き高齢者もいる。
核家族化した今日にあっては、独身の高齢者のみならず、配偶者と死別した人も、単身生活を送っている。この人たちを押しなべて、哀れで、みじめで、気の毒な存在と見なすことは、まったくもって失礼な話である。まして、孤独死についても、その多くは、「みじめな死」どころか、「誇り高き死」ですらある。