たとえば、宍戸錠は、糟糠(そうこう)の妻を亡くして以降も10年の長きにわたって単身生活を続け、自宅の火災という大惨事に見舞われながらもたくましく生き、86年の長寿を全うした。
亡くなる前日も、近くの商店街を悠然と歩く姿が目撃されたと言われている。この人の死を、いったい、誰が何の資格をもって、「哀れな死」と断じることができるのか。
晩年も豪放磊落な「エースのジョー」で通し、最期まで尊厳をもって生き、そして、逝ったのである。私どもは、その死を憐憫をもって見るのではなく、むしろ、畏敬の眼差しで見つめるべきではなかったのか。
最期の旅は誰にとっても一人旅
孤独死を悲劇的なものだと決めつけることはできない。最期まで自立した生活を送った結果の、穏やかな死である場合もある。もちろん、死亡日時推定、特殊清掃、遺体の埋葬、遺品整理に伴う混乱を思えば、できれば孤独死は避けるにこしたことはない。
その一方で、家族・親族が付き添うなかでの死とは、当事者にすれば、最期の瞬間まで来客に対する気配りを強いられるということでもある。それは、過酷な要求である。
見舞客というものはまことに注文の多い存在であり、何とこの期に及んでも、なお気の利いた「辞世の言葉」を期待しているのである。しかし、意識が遠のくなかでそんなことができるはずがない。
私たちは、独居高齢者たちをひとまとめに憐憫の対象にするべきではないし、孤独死をめぐって死者の晩年を詮索すべきでもない。人は皆、誰かと死ぬことはできない。最期の旅は、誰にとっても一人旅である。生きること、死ぬこと、一人であること、それらをめぐる死生観を再考する時期に来ているといえる。