デモクラシー政治は「待ち」ではない。「なる」のではなく、「する」のであり、「安定」が第一ではなく、改善のために理想に向かう「創造性」と「変化」の試行錯誤である。そしてそのための「連帯」である。
しかし現実にはそれはなかなか難しい。自由で平等な社会とは言うは易し、実現はちょっと考えただけでも難しい。デモクラシーは果てしない「理想」なのだ。だからこそそれは「チャレンジ」であり、「勇気」が必要なのだ。
きれいごとばかりのように見えるが、そうした政治の大義を失ってはデモクラシーの道は開けていかない。ここでいう大義とは皆が共有する普遍的価値・目標のための論争だ。目先の勝利に焦点があたった技術的な戦術論が先行してはならない。日本社会とデモクラシーの閉塞感の大元にある真実だ。
争点は「党利党略選挙」の是非
今回の選挙は「政権交代選挙」と野党は主張する。選挙区の野党候補の一本化も難しい状況では大義がなくとも与党に勝機は十分にある。それが前提であってはならない。
国民もそれを傍観するだけであってはならない。選挙をめぐるデモクラシーの大義を明確にすること、それは個別の政策の成否や微妙な違いを争うよりも、重要だ。問われるべきは党利党略選挙の成否だ。
合法的ではあっても、こうした形の解散総選挙そのものの提案が、国民の信頼を基礎にした政治を目指した姿ではないことは明白だ。むしろ安定志向の国民心理に胡坐をかいた政治スタンスでしかないようにも見える。自民党の総裁選挙の結果はその縮図でもあった。
有権者全体が共有できる論点、つまり争点の普遍化は、今回は「デモクラシーの中の党利党略を問いなおす」ということではないか。この選挙で試されているのは政治の世界であると同時に我々国民一人ひとりのデモクラシー意識でもある。