──社会実装を着実に進めるためには、どういった技術が必要か。
加藤 世界モデルの生成AIを活用するのが一番の近道だろう。
例えば、雨の日に運転するとして、人間は「雨の日に起こりうること」を全てインプットしてから運転に臨むわけではない。その場の状況に応じて判断や行動をしている。一方、自動運転では一定の条件を感知すると必ず安全サイドの行動をとる仕様になっている。だが、世界モデルの生成AIを用いれば、人間と同じように状況ごとに判断し、運転を制御することができる。現状の生成AIは言語モデルであり、世の中に存在する全てのテキストを学習して「言葉」を生成するが、世界モデルは全ての「事象」を学習する。つまり、世界モデルでは運転に関連のある全ての事象を学習して、運転にまつわる「行為」を生成できるようになる。
ただ、こうした高度な技術については、技術自体が評価されたとしても実用化の場面で様々な規制がかけられることも多い。「規制緩和」と「事故」がトレードオフの関係にあるからだ。このバランスについて、日本は米中のように緩和に振り切るわけにはいかないだろう。世界モデルの生成AIもコンサーバティブな規制の対象となる可能性がある。
日本が持ち続けるべき
アイデンティティ
──日本のコンサバな姿勢は今後の成長の足かせにならないか。
加藤 コンサバな考え方は、日本のユニークで良いところだと感じる。実際、米中と違い、日本ではこれまで自動運転による死亡事故は1件も起きていない。規制をかけて事故のリスクを低減させたことで、むしろ日本は「安全・安心」「信頼」という独自のアイデンティティを残すことができている。
繰り返しになるが、自動運転の領域では先行者=勝者であるとは限らない。持続可能性が重要だ。その意味で、日本は「正しい手」を打っている。ただ、ソフトエンジニアなど技術者の視点に立つと、コンサバな日本は決して良い環境とは言えない。これを突破するのが日本だけに閉じない技術開発を可能にするオープンソースだ。
──それらを踏まえて日本は今後、どうしていくべきか。
加藤 オープンソースを使えば、ウェイモやテスラといった先行者が頑張れば頑張るほど、日本が得をするという構造をつくれると思っている。冒頭にも述べたように、技術はグローバル化しており、進歩を取り込むことができるからだ。しかも、最近では、米国でウェイモなどに乗った日本人のオピニオンリーダーたちがその完成度の高さを〝宣伝〟してくれるようになった。その口コミは私たちがいくら机上で説明するよりもはるかに説得力がある。
日本はこれからも、日本らしさを捨てずに進めていけばいい。この「らしさ」は匠の技というようなものではなく、日本固有の雇用制度や文化、経済を守りながら進めていくということだ。米中と同じ土俵で勝負するのではなく、彼らの良いところをうまく取り入れながら、日本の実情に合わせて、同等のものを最小限のコストで実現していく。これが日本が将来的に勝つための道筋だ。