診断書一枚で変わるいじめの事実の「認知」
筆者の外来は混雑している。診察のために限られた時間しかかけられない。こころの健康の専門家であるから、患者が抑うつ、不安、不眠、意欲低下、食思不振等の症状を呈して抑うつ状態にあることは判断できるが、本当のところ、いじめの確証を得ているわけではない。だからこそ、診断書には、「この陳述が事実ならば」という留保をつけ、かつ、事実の確認は学校・学校設置者の責務である旨を記している。
ところが、驚くことに、翌週患者・家族から聴いてみると、学校は診断書一枚で直ちに「いじめ」を認知し、それどころか多くの場合において、学校設置者とともに「重大事態」として対応することを始めている。学校がこの短期間に新たな調査を行えるはずがない。
学校が「いじめ」であり、「重大事態」であると判断する場合、その根拠となる事実は、すでに何度も被害者・家族が学校に示してきたものばかりである。事実関係に関して、新たな情報などどこにもない。
筆者の診断書には、心身の健康に関する記載はあるが、学校にとって、追加情報はそれだけである。筆者はいじめの事実を調査する立場にないのだから、被害者・保護者がすでに学校に報告した以上の事実を診断書に記載できるはずがない。
それにもかかわらず、学校は診断書一枚で、手のひらを返したように「いじめ」を認知する。しかも、「重大事態」として取り扱おうとする。
これは、学校が筆者の診断書以前からいじめの事実を認知していて、かつ、それを隠蔽しようとしてきたからであろう。病院という外部機関から、証拠能力の高い診断書というものが出てきたので、大慌てで方針を変更したのである。
担任教諭の丸抱え、校長による責任転嫁に対して
同法は、いじめに対する学校側の対応の不手際を予測している。担任教諭の抱え込み、校長の責任転嫁、加害者への介入の遅れ、被害生徒の孤立化、組織的隠ぺい、さらには、刑事事件化への抵抗などである。同法は、これらすべてに対して、法の条文をもって先手を打っている。
まず、担任教諭の丸抱えについては、第23条において、個々の教諭に対して学校への報告を課している。「学校の教職員、地方公共団体の職員その他の児童等からの相談に応じる者及び児童等の保護者は、児童等からいじめに係る相談を受けた場合において、いじめの事実があると思われるときは、いじめを受けたと思われる児童等が在籍する学校への通報その他の適切な措置をとるものとする」との条文である。
ついで、校長による担任教諭への責任転嫁については、第23条の2において、「学校は、(中略)速やかに、当該児童等に係るいじめの事実の有無の確認を行うための措置を講ずるとともに、その結果を当該学校の設置者に報告するものとする」と記しており、校長に責任があることを明言している。
また、加害者に適切な指導を行い、直ちにいじめをやめさせることも、校長の責任である。この点は、第23条の3に記されている。「学校は、(中略)、いじめを受けた児童等又はその保護者に対する支援及びいじめを行った児童等に対する指導又はその保護者に対する助言を継続的に行うものとする」と述べている。この条文は、校長が被害者児童・生徒ならびにその保護者に対して、指導と助言を継続的に行わなければならないことの、法的根拠ともなりえる。