2025年3月15日(土)

スポーツ名著から読む現代史

2025年2月11日

 2025年1月場所、第73代横綱、照ノ富士春雄(本名杉野森正山)が現役を引退した。18歳の春、来日し、鳥取城北高校での相撲留学を経て大相撲の世界に入った。

引退した横綱・照ノ富士(UPI/アフロ)

 恵まれた身体と運動神経の良さを生かし、入門から25場所で平成生まれ初の大関に昇進したが、相次ぐひざのけがと内臓疾患のため大関から陥落、19年春場所には序二段まで転落した。しかし、そこから再浮上。場所ごとに番付を回復し、21年秋場所で横綱に昇進した。

 大相撲史上前例のない急降下、急上昇を一人で体現した照ノ富士。本人の努力はもちろんのことだが、親方や部屋関係者、家族の支えなしにこれだけのドラマは実現しなかっただろう。その照ノ富士が念願の横綱昇進を果たした直後に出した著書が今回紹介する『奈落の底から見上げた明日』(2021年、日本写真企画)である。

 同書ではモンゴルでの少年時代から始まり、日本に渡る決意をした理由、さらに大相撲入門後の波乱に富んだ相撲人生を率直に振り返っている。それを補強するように、母オユンエルデネさんと妻ドルジハンドさん、相撲界からは伊勢ケ浜親方を筆頭に、元付け人やライバル力士ら総勢13人が照ノ富士の人となりを語っている。

 横綱在位21場所で、照ノ富士が15日間相撲をとり切ったのはわずか8場所。全休が7場所ある。それでいながら協会幹部や横綱審議委員から引退勧告などの声がほとんど聞こえてこなかった。

 けがと病気と闘った照ノ富士の必死の努力を誰もが知っているからだろう。奇跡の復活はどのように生まれたのか。著書から読み解いてみたい。

逆風下の入門

 駆け足でモンゴルでの生い立ちを振り返っておこう。生まれたのは1991年11月29日。ウランバートルに次ぐモンゴル第2の都市、ダルハンで姉と妹の3人きょうだい。小さいころから体が大きく、運動神経もよかったようだ。

 日本の大相撲を知ったのは小学6年のころ。横綱朝青龍や白鵬の全盛期で、父と一緒に自宅のテレビで観ていたという。学業成績も優秀で、飛び級で進学した大学では柔道を習い、モンゴル相撲などからも声がかかった。相撲を選んだのは、たまたまモンゴルを訪れた鳥取城北高の石浦外喜義校長兼相撲部監督の目に止まったことが大きかった。

 2学年下の逸ノ城らと3人で鳥取城北高に相撲留学した照ノ富士はその年の夏、沖縄で開かれたインターハイの団体メンバーに加わり、連戦連勝。優勝の原動力となり、間垣部屋への入門が決まった。

 照ノ富士が入門した当時、日本相撲協会は吹き荒れる社会の逆風の真っただ中だった。


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