2025年3月29日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2025年2月17日

対中外交の曲折が起きた2010年代

 2010年代に入ると米国は、地域内で急激に伸張する中国を念頭に、アジア太平洋への再シフトを開始した。これに対し米国の準同盟国的な位置づけにあるシンガポールは、南シナ海をにらんだ米軍の最新鋭艦や哨戒機の配備を積極的に受け入れてきた。一方で中国は2013年に入ると、長年にわたって経済を主軸に積極的な関係構築を図ってきたシンガポールに、外交・安全保障面で自陣に引き入れるような言動をとりはじめた。

 13年8月、中国を訪問したリー・シェンロン首相(当時)に対し、習近平主席は「中国の重大な関心事を東南アジア諸国連合(ASEAN)が理解して支持するよう求める」と述べ、南シナ海問題などを抱えるASEANの中で、シンガポールが中国寄りの姿勢をとることを暗に求めた。だがシンガポールは、中国の経済進出には「一帯一路」や「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)への早期参加を通じて支持を示してきたものの、深刻化する南シナ海問題などには地域安定重視の観点から、15年前後にアメリカとの連携にバランスを傾斜させた。

 しかし、これが中国の怒りを買うことになる。16年10月、中国の国防大学戦略研究所所長が「シンガポールは代償を払うことになる」との脅迫的発言を行い、同年11月にはシンガポール軍の装甲車を積んだコンテナが、寄港地の香港で押収される事件が発生した。中国側は、あくまでも「一国両制」下の香港税関が押収したと述べたが、実際には中国が背後にいることは明らかであった。さらに17年4月、北京で開催された「一帯一路サミット」に他のASEAN諸国首脳は招待されたものの、リー首相だけが外される事態となった。

 危機感を抱いたシンガポールは関係修復に動き、同年7月にはドイツでの主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)でリー首相と習主席が会談した後、「中国の影響力はより大きくなり、われわれは中国との関係をどのように発展させるかを考える必要がある」と述べた。以降、米国との安全保障関係は維持しつつも、事あるごとに、それは米国の立場に与するものでないことを強調し、米国には中国との対立回避を説き始めた。また、南シナ海問題では国際海洋法の原則論を維持するにとどめ、中国との軍事交流も米国を刺激しない範囲内で緩やかに拡大している。

国内での浸透工作の排除

 一方でシンガポールは、国内での中国による影響力浸透を警戒し、これを厳しく牽制する姿勢を明確化している。シンガポールでは1960年代の独立期、「建国の父」リー・クアンユーが、当初は中国共産党の影響を受けた左派労組勢力を利用し、後にこれを切り捨てた経緯から、80年代までは中国の影響力浸透に厳しい姿勢を取っていた。しかし90年代から21世紀初頭には、経済機会追求のため中国との交流を積極奨励する姿勢に転換していった。

 そして中国はこれを利用する形で、シンガポールの華人系諸団体・コミュニティに、経済交流の便宜だけでなく同郷縁や文化交流を名目に接近を強め、親中的環境・気運を醸成する工作を加速させてきた。また人種を問わず、シンガポールで影響力を持ちうるオピニオン・リーダーを「培養」して、中国の利益に沿った主張をさせ、あるいは各界のアセット(協力者)を取り込むことで、政策や世論を中国有利に誘導する浸透工作を展開してきた。

 しかし2017年の対中関係悪化を契機に、シンガポールは中国の影響力浸透を容認しなくなった。すなわち外交政策面では、中国の抑え込みは難しいという現実を受けて、バランス軸を若干の中国寄りに位置修正しつつ、国内防諜面では、浸透工作による「内患」を排除し始めたのである。


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