子どもの頃、祖父母と一緒に行ったデパートの食堂で「味噌煮込みうどん」に出会った時、とても驚きました。後からくる、若干控えめな「酸味」に惹かれました。祖父母に聞くと「八丁味噌」だと教えてくれました。
この八丁味噌を生み出したのがカクキュー(屋号)こと、合資会社八丁味噌(愛知県岡崎市)です。徳川家康が茶道役に「あなたの住まいは(家康の生まれた)岡崎城からどのくらいの距離があるか」と尋ね、「八丁(870メートル)です」と答えたことから「八丁村」となったという説があり、その村で造っているから「八丁味噌」と呼ばれるようになったそうです。
同社企画室で管理栄養士の早川ちかこさんに話を聞きました。
「味噌造りを始めたのは、今川義元の家来だった早川新六郎勝久です。1560年『桶狭間の戦い』で、織田信長に敗れた後、岡崎の願照寺へと逃れて武士をやめ、久右衛門と名前を改めました。同じく徳川家康公も、今川方として戦に敗れ、岡崎のお寺(大樹寺)に逃げ込みました。現在、徳川宗家も19代、私どもも19代目で、同じ時代を生きたことを実感させられます」
今でも「家康公」と呼ぶ所に、三河の人々の尊敬の念が表れています。
「久右衛門は、願照寺で味噌の造り方を学びます。それから約100年後、1645年に業として今の場所で八丁味噌を造り始めました」
味噌=大豆+塩+麹、です。私が慣れ親しんでいたのは米麹でした。しかし、八丁味噌は使う大豆の全てを麴にした「豆麹」で仕込みます。大人になってこのことを知り、改めて「豆麹」がもたらす味に感動し、自宅で使用する味噌も八丁味噌に替えました。
「木桶(高さ1.8メートル)に、豆麹(蒸した大豆をかたまりにして麹カビを繁殖させたもの)、塩、極限まで少ない仕込み水を加え、石を高く積み、二夏二冬(2年以上)熟成させます。少ない水分を全体に行き渡らせるためですが、この石積みは非常に難しく、習得するには10年以上かかります。豆麹は普通、親指くらいの大きさですが、私どもでは大人の拳くらいの大きさにします。そうすることで、より多くの乳酸菌が生まれるのです」