「伊勢角屋麦酒」は、世界的に知られるクラフトビールメーカーです。ビール界の「オスカー」と呼ばれる「IBA(The International Brewing Awards)」で、3回金賞を受賞した技術者集団です。クラフトビールは、ブームの波が来ては消えるという、浮き沈みが激しい特徴がありますが、伊勢角屋麦酒は1997年の創業以来、沈むことなく、成長を続けてきました。
伊勢角屋麦酒を率いる鈴木成宗さんと知り合いになり、初めて伊勢を訪ねたとき、ビール工房以上に衝撃を受けたのが「二軒茶屋餅」でした。実は、伊勢角屋麦酒の祖業は餅屋なのです。暖簾が掛かったファサードの背後に控える楠の巨木。聞けば樹齢は「二軒茶屋餅角屋本店」が創業した1575年当時からあったといいます。楠の隣には、1872年(明治5年)に明治天皇が行幸した記念碑が建っています。明治帝は、東京以外ではここで初めて軍服姿となり、お供をしたのは、なんと西郷隆盛です。
「背後に流れる勢田川は、古来水運の大動脈でした。ここを通ってお伊勢参りをする人々に向けて、餅を提供したのが二軒茶屋餅の始まりです。餅は当時のファーストフードとも言える食べ物だったのだと思います」(鈴木さん、以下同)
二軒茶屋餅は「今日の餅は今日限り」とのことで、お土産で持ち帰ることを想定していなかったそうです。
「祖父の代までは、『東京へ餅を持っていくなら返してくれ、腹の中に餅を入れて持っていってくれ』と言っていたそうです。やはり、茶屋でお茶を飲みながら餅を食べるのが本来の姿で、その思いは今も変わっていません。歴史を含めて感じとっていただきたいからです。餅がご馳走だった時代と違い、今は食べ物にあふれています。だからこそ、変わらないことに価値があるのだと思います」
といっても、鈴木さんは「頑なに」変わらないと言っているわけではありません。「持ち帰りたい」というニーズに応えるべく、製法を工夫することで2日間は保つようにして「お土産用」も販売するようにしました。お土産の包みには「竹皮」が使われますが、これも今では台湾製だそうです。
「450年間続いてきた秘訣の一つに、何代かごとに新しいことをする人が出てきたことにあると思います。曽祖父は、1923年(大正12年)に味噌・醤油造りを始めました。廃業する蔵から設備を買い取り、全て中古でスタートしました。今年で事業を始めて100年になりますが、木の樽など今でも現役で使用しています。戦中・戦後は砂糖などが入手できず、10年ほど餅を作ることができなくなりました。この時は、醤油・味噌の販売が収入の支えになりました。私がビールを始めたのも同じです」
鈴木さんは、東北大学時代、空手と微生物研究に没頭しました。
「空手では余計な力が入るとダメです。同じように外部環境を無視して頑なに伝統を守ろうとしても無理が生じます。大学の時、空手と微生物研究に両足を突っ込んだように、今はビールと餅の両方をやっていることがプラスに働いています。世界を目指すビールは、変化して常に新しい発見を探します。一方で、変えないものがこの二軒茶屋餅なのです」
きな粉がまぶされ、薄い餅の中に餡が入った二軒茶屋餅。一口頬張ると、450年間続いてきた味に想像力をかき立てられます。その長い歴史の中では、自分は小っぽけな存在であり、謙虚な気持ちにもなります。