2025年12月6日(土)

Wedge REPORT

2025年3月3日

 しかし経営環境は日本が「家電王国」の名をほしいままにした1990年代までとは大きく変わっていた。ひとつは消費者とメーカーやサービス会社を直接つなぐインターネットの登場とそれに伴うアナログ家電からデジタル家電への転換だ。もう一つはサムスン電子やLG電子といった韓国メーカーの追い上げである。

 米国ではアップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が経営者に返り咲き、音楽をモーターの回転で奏でる「ウォークマン」ではなく、インターネットとメモリで演奏する「iPod」で新たな音楽市場を築いた。さらにスマートフォンの「iPhone」を成功させると、映像もテレビ放送ではなくインターネットで配信する時代へと変えた。

プラズマテレビへの過度なこだわりが経営の足かせに

 パナソニックが陥ったもうひとつの落とし穴がプラズマテレビ事業への過度なこだわりだ。薄型テレビには液晶とプラズマの2種類があったが、液晶は当時、大型化が難しいといわれていたのに対し、自家発光体であるプラズマは残像が少なく、黒色がきれいに映った。絵づくりにこだわるパナソニックの技術陣はブラウン管の置き換えとしてプラズマに賭けたが、液晶の大型化と高精細化の方が速く、2013年には事業集結に追い込まれた。

 この間、富士通やパイオニア、日立製作所といったメーカーはプラズマテレビ事業から次々と撤退したが、パナソニックは最後まで大型投資を続け、結局は11年度、12年度と続けて7500億円以上の最終赤字を計上してしまう。

 国内薄型テレビ市場におけるパナソニックのシェアは2010年代中ごろにはシャープに次いで24%ほどあったが、最近は韓国や中国の家電メーカーにおされ、9%程度まで下がっている。2月の記者会見で楠見社長がテレビ事業からの撤退をほのめかしたのは、かつてのテレビ事業の責任者として出身母体も身を削らなければならないという覚悟の表れでもあった。

 実際、パナソニックは1987年から37年間続けてきた国際オリンピック委員会(IOC)との最高位スポンサー契約を昨年末で終了している。動きの速い映像に強いプラズマテレビを売るにはスポーツ競技は極めて都合がよかったが、もはやその必要はなくなったというわけだ。

 こうしてパナソニックは数々の経営判断の過ちや意思決定の遅れから30年にも及び業績の低迷を招いたが、楠見社長のもとで今後はどこへ向かっていくのか。それは家電市場を韓国や中国、トルコなどのメーカーに奪われた日本メーカーの今後の行く末でもある。

家電メーカーからエンタメ企業にカジを切ったソニー

 早々と家電事業に見切りをつけたソニーは音楽や映画、ゲーム、金融といった新事業に軸足を移し、CMOSなどの半導体やカメラを含む電機事業はもはや連結売上高の3割しかない。電機メーカーからエンターテインメントカンパニーへと完全にカジを切った形だ。

家電からクリエイティブにカジを切ったソニー(CES2025、筆者撮影)

 「御三家」と呼ばれた日立化成、日立金属、日立建機の上場3子会社を売却し、重電やインフラ、情報技術(IT)、エネルギーなどの重点分野に事業ポートフォリオの照準を定めた日立製作所は、「大企業病」といわれたかつての企業体質から完全に脱却した。家電や携帯電話事業から撤退した三菱電機は得意の産業オートメーションや社会インフラ事業に特化することで筋肉質を高めている。一方、経営判断の誤りや原子力発電事業の失敗などから会社分割に追い込まれた東芝は祖業の発電・社会インフラ事業などに注力することで生き残りをかけようとしている。

 実はそうした事業ポートフォリオの組み換えや新規事業の開拓は欧米の電機メーカーの方が早かった。家電やコンピューター事業からの撤退など大ナタを振るった米ゼネラル・エレクトリック(GE)の経営改革は今も有名な話だが、欧州でも家電メーカーのフィリップスは2018年に祖業の照明事業を売却、テレビ事業はそれ以前に台湾企業に売却しており、現在は医療機器やヘルスケア事業に特化している。

 パルプや長靴などからスタートしたフィンランドのノキアはテレビメーカーに変身して注目されたが、そのテレビ事業をパナソニックに売却し、その資金を元手に今度は携帯電話端末事業に進出して世界で大成功を収めた。今は携帯端末から撤退し、通信機器メーカーへと転身している。


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