また、クリミアに駐留する黒海艦隊は、ロシアの海運のおよそ30%が通過する黒海の制海権確保とともに、シリア情勢などに睨みをきかせるためにロシアが地中海に展開している艦隊を支えるロジスティクス拠点でもある。
さらにロシアは黒海へのNATO(特に米海軍)の海上プレゼンスに神経を尖らせている。以上のような黒海の地勢的重要性から、平時にロシアの海上プレゼンスが相対的に低下することへの懸念に加え、有事に黒海から巡航ミサイル攻撃を受ける可能性があるためだ。米海軍のトマホーク巡航ミサイルは(タイプによって異なるが)2000〜3000km程度の射程があるため、ロシアの主要政経拠点が収まってしまう。しかも通常型の長射程精密攻撃兵器による攻撃に対しては核兵器で報復を行うことが難しく、抑止力が働かないのではないか、という懸念がロシア側には存在している(この点は2008年のグルジア戦争当時にも問題になった)。
ロシア西部における軍事力近代化の動向
このため、ロシア海軍はフリゲート6隻、通常動力型潜水艦6隻、揚陸艦2隻、Su-30SM戦闘爆撃機50機などの新型艦・航空機を2020年までに相次いで黒海艦隊に配備してパワーバランスを維持する計画である。その一部はすでに配備を目前に控えているが、クリミアの根拠地を失えばその計画も大きく有効性を減じてしまう。
たしかにロシアは自国領内のノヴォロシースクに新海軍基地を建設しているため、クリミアを失っても艦隊を維持することは不可能ではないが、新基地周辺は突如として強烈な突風が発生する難所として古来知られており、艦隊の根拠地としてあまりよい条件とは言えない。また、クリミアが黒海北部のほぼ中央に位置し、あらゆる海域に迅速に兵力を展開できるという地理的優位性も見逃せない。
また、上記の黒海艦隊近代化計画に加えて、ロシアは西部地域全体の軍事力近代化を図っている。近年、対中脅威論の高まりによって、日本ではロシア軍の極東における軍事力近代化が強調される傾向があるが、依然として軍事力近代化の最重要正面は西部である。
特にロシアが重視しているのは、前述のような精密攻撃から重要拠点を防衛するための防空システム(早期警戒レーダー網や最新鋭のS-400防空システム)、通常戦力の劣勢を補うための戦術核兵器(イスカンデル-M短距離弾道ミサイル)、新型の航空戦力(Su-34戦闘爆撃機など)、その他地上戦力や海上戦力(黒海艦隊だけなく、北方艦隊、バルト艦隊、カスピ小艦隊も太平洋艦隊に比べて近代化が進んでいる)であり、精鋭部隊である空挺軍も西部に集中配備されている。戦闘機については主力工場が極東のコムソモリスク・ナ・アムーレに所在するため、初期トラブルに備えてまずは極東から配備が始まっているが、生産が軌道に乗れば西部地域への配備が進むと考えられる。