一方、イギリス海軍の士官であるポール・オットウェル大尉の議論では、これらの定義にはやや否定的なバイアスがあると批判し、次のようなより中立的な定義を提示している。認知領域を「個人、集団、および集団の相互に結びついた信念・価値観・文化に影響を与えるために、情報環境を利用することによって作戦が達成される知覚と推論からなる領域」と定義した上で、認知戦は「他者に対して優位に立つために、対象者の間であらかじめ決められた認識を確立するための認知領域での作戦」と記述している。
このように認知戦は、相手国に対して優位に立ち、自国に有利な社会的・政治的システムに作り変えることが焦点となる。そして、認知領域が戦争で武器化されたことにより、兵士だけでなくすべての市民が認知戦の戦場に置かれるという脅威を認識すべきである。
陰謀論という強力なナラティブ
このような認知戦下においては、陰謀論というナラティブが新たな脅威となっている。認知戦で攻撃対象となる認知プロセスにおいて、「陰謀」という独自の世界観や物語性を有する陰謀論は、単なる個々のディスインフォメーションとは違い、強力なナラティブとして機能する。なぜなら陰謀論は、不確実性、深い社会的不信、二極化、疎外感といった社会の歪みに対し、単純で分かりやすく、時には正義感を刺激するようなナラティブでこの世界を説明するからである。
このような戦略的ナラティブとしての効能を利用して、ロシアや中国といった安全保障上の懸念国が、Qアノンの陰謀論を「武器化」して、社会的不和を引き起こし、正当な政治プロセスを危険に晒している。さらには、2019年以降、ODNIとアメリカ連邦捜査局(FBI)によってQアノンはテロの脅威グループとして名指しされるまでになった。
そして以前の連載で述べたように、陰謀論のムーブメントは各国でも広がっており、これらは単に思想的な問題ではなく、物理空間での体制破壊的活動に結びついて、明確に安全保障上の脅威となっている。
このような陰謀論の世界観に陥りやすい人は、連言錯誤(一般的な状況よりも特殊な状況の方が蓋然性が高いと誤判断すること)や意図性バイアス(他人の行動が偶然や無意識ではなく意図的であると推測して結果に固執してしまうこと)、分析的思考の欠如といった認知的特性があるとされる。このような認知的特性から、陰謀論を利用した認知戦のオペレーションは、マイクロターゲティングが容易で、エコーチェンバーやフィルターバブルに陥りやすいSNS環境と親和性があり、戦略的に実行しやすい。
また、2つの陣営に分かれている議論の一方に深く傾倒している人は、自分たちに有利ならその意見が真実かどうかにかかわらず飛びつく傾向があるため、陰謀論では既存の対立構造を利用する手法が用いられる。これはディスインフォメーションにより社会の分断を図る手法と類似しており、この点でも親和性がある。
陰謀論そのものは古くからある言論体系であるが、こうした性質から、陰謀論は国家による認知戦下のディスインフォメーションを用いたオペレーションに組み込まれていった。こうしてサイバー空間での陰謀論言説は、IT化が進み人々や社会がサイバー空間に接続されたデジタル化時代において、新たな勃興を見ることとなった。こうした新たな認知戦の展開についても、安全保障上の脅威として多面的に対応していく必要がある。
長迫智子「情報操作型サイバー攻撃の脅威(1) ―ディスインフォメーションを利用した情報戦の現状と課題」『CISTEC Journal』、第211号、155-163頁、2024年5月。
長迫智子「情報操作型サイバー攻撃の脅威(2) ―第6の戦場としての認知領域」『CISTEC Journal』 第212号、167-177頁、2024年7月。
