2025年4月17日(木)

トランプ2.0

2025年4月8日

 ホワイトハウスは初め、両首脳だけの会談があったこと自体さえ否定していたが、直後に複数の関係筋のリークで事実を認めた。しかも、トランプ氏は居合わせた通訳が書き止めたメモを取り上げた上、「誰にも漏らすな」と口止めしていたことまで後に明らかにされ、話題もちきりとなった。

 会談後の両首脳による共同記者会見も開かれなかったため、二人のやり取りの中身は今日に至るまで、一切闇の中に葬られたままとなっている。

 17年11月、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開催されたベトナム・ダナンでも、トランプ氏とプーチン氏との二人だけの会談が行われた。ここでも、ティラーソン国務長官、ボルトン大統領補佐官は同席を許されなかった。

 会談後、トランプ氏は記者団に取り囲まれ、ロシアによる選挙介入問題についての質問を浴びせられたが、「プーチン大統領は会うごとに、関与を強く否定してきた。彼が私に言っていることを心底から信じる」などと語り、ロシア側の弁護に終始した。

 4回目の会談は翌18年11月、アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されたG20首脳会議の際に行われた。会談は事前に予告されていたが、1時間前に突如、トランプ氏自らがSNSで「都合が悪くキャンセルした」と公表した。

 ところがその後、G20首脳会議場外の別室で二人が通訳だけ入れて密談していたことが発覚した。側近も同席できなかった。ホワイトハウス当局者は「ウクライナ問題などが話し合われた」とだけ語った。

 二人は19年6月、大阪でG20首脳会議が開催された際にも、約1時間、個別に会談した。しかし、内容はここでも一切明らかにされていない。

 このように、トランプ大統領は任期中に、5度もプーチン氏と会談したが、そのいずれについても、詳しい二人のやりとりはほとんどわかっていない。米国政治史上、かつてなかった異常事態だ。

ソ連時代から続く“コネクション”

 実は、トランプ氏については、前回大統領就任以前から、“秘めたるロシア・コネクション”が米欧マスコミで頻繁に報じられてきた。

 トランプ氏は東西冷戦最中の1977年、ソ連とは密接な関係にあったチェコの女性、イヴァンナ・ゼルニコバさん(当時28歳)と知り合い、ニューヨーク・マンハッタンで二人の最初の結婚生活をスタートさせた。

 ほぼ同時に、チェコの秘密情報機関は、米経済界で名をなしつつあったトランプ氏が政治に関心を持ち始めていることに目をつけ、二人の動向を監視し続けた。その情報は、ソ連国家保安委員会(KGB)とも共有されていたと伝えられる。

 その後、KGBは独自にトランプ氏に「特別の関心」を抱き始めたが、そのトランプ氏を本来の意味での「スパイ」ととらえたのか、たんなる「接触相手」と位置付けたのかは今日にいたるまで明らかになっていない。

 しかし、トランプ氏はその後1986年夏、マンハッタンの知人の昼食会でソ連のユーリ・ドゥビーニン駐米大使と会ったのをきっかけとして、ソ連とのコネクションを築き始めた。

トランプとロシアの深い関係が見え隠れする著書“The Art of the Deal”

 そして翌87年には、①モスクワのクレムリン通りと向かい合った広大な敷地に、ソ連政府とのパートナーシップで大型高層ホテル「トランプ・タワー・ホテル」建設構想に着手し始めたこと②ドゥビーニン大使のお膳立てでモスクワを訪問、ホテル候補地を見分したこと――などを後に自著“The Art of the Deal”の中で明らかにしている。

 ただ、滞在中、KGBの監督下にあった国営旅行社「インツーリスト本部」に隣接した「ナショナル・ホテル」のスウィート・ルームに宿泊中だったことから、トランプ氏の夜間の行動、女性との接触なども監視下にあったと伝えられている。

 冷戦終結後も、トランプ氏とロシアとの関係は密接なものだった。

 プーチン大統領が登場してからは、ロシア側もトランプ氏との接触を本格化させた。 特に、トランプ氏が15年、初めて大統領選出馬を表明して以来、ロシア情報機関による対米工作が活発化したことが、その後、明らかにされた。


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