再び巡ってきた甲午の年。この「甲午の年」というフレーズは2014年に入ってから盛んに中国のメディアを賑わせている。というのは2014年の今年は中国における旧暦の「甲午の年」だからだ。日本人には馴染みが薄いこの「甲午(こうご)」とは中国人にとっては恥辱の歴史の代名詞である1894年の「甲午戦争」(日清戦争)が起きた干支(えと)であり、旧暦「きのえうま」を意味し、干支の60年周期で31番目の年を指す。そして今年は日清戦争勃発からちょうと120年目に当たるのだ。
国威発揚のまたとない機会
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尖閣諸島の領有権や歴史認識を巡って日中関係がかつてないほど冷え込む中、「甲午の年」が再び巡ってきたということで、中国では国威発揚のまたとない機会として党や軍の宣伝部門が「甲午戦争」を取り上げて愛党、愛国、国防の必要性を訴えるキャンペーン(『解放軍報』紙サイト「中国軍網」は特設頁〔写真〕を設けているほどだ)を展開している。
そしてキャンペーンに止まらず、これを宣伝や教育政策にも反映させる動きが出ている。立法機関である議会に当たる全国人民代表大会では代議員たちが日清戦争を記憶し、愛国主義や国防に生かす必要性を主張し、制度化しようしている。そこで『解放軍報』から二本の記事を取り上げ、紹介したい。
一本目は解放軍芸術学院の文学部主任である徐貴祥教授による「歴史の宿命?―甲午戦争文化黙考録シリーズ」であり、二本目は「今日、どのように国恥を記憶するかー全人代の軍人代表たちが甲午の年に強軍建設を提案」という記事だ。後者は3月17日に閉幕した「両会」(全国人民代表大会と全国政治協商会議の二つの議会に当たる会議)に際して連載された特集であり、日清戦争と軍の政治思想統制や教育を関連付けた代議員たちの政策提案を紹介している。
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記事(1)【2014年3月20日『解放軍報』(抄訳)】
2014年は1894年に勃発した中日の甲午戦争からちょうど2周回甲午年を経た年だ。この120年間で世界は激変したが、中国の軍人からするとあの敗戦はあたかも体から取り出せない銃弾のようであり、胸の傷口は未だに癒えないままである。