今日、習近平総書記は中華民族の偉大な復興という中国の夢を提起し、中国の人々の愛国心を大いに鼓舞している。私たちは歴史を鑑とし、屈辱と失敗に向き合い、教訓を客観的に総括し、改革開放を深めて思想観念の束縛を突破しなければならない。
全人代での軍代表の言葉
記事(2)【2014年3月13日『解放軍報』】
今から120年前の甲午の年。中国近代史上一つの屈辱的戦争が悲痛な傷跡を残した。時はめぐりまた再び甲午の年が巡ってきた。今日の中国は既に他人に凌辱され、分割された屈辱の歴史から脱して国際的地位でも総合国力においても天地を覆すような変化を成し遂げている。
全国人民代表会議の軍代表(軍を代表して出席した代議員たち:筆者)たちは、中華民族の発展、運命に大きな影響を与えたあの戦争から教訓として何を得たのか。
白文奇(海軍中将、元北海艦隊政治委員)代表
我々の北海艦隊の艦艇は、通常甲午戦争が発生した戦場に赴くことが多いが、毎回波しぶき立つその海域に入るたびに、沸き立つ砲声を聞くかのような思いに囚われる。歴史を刻み、国恥を忘れないことは一人一人の北海艦隊兵士たちの必修科目となっている。我々一人一人の兵士において歴史の詳細は時間の流れとともに流れ去ってはいない。
1894年7月25日、日本軍は清朝の兵士輸送艦隊を奇襲攻撃し、豊島海戦が勃発した。9月には大東溝海戦が勃発し、11月には大連が陥落した。翌2月17日、北洋水師は威海(山東省沖)で壊滅した。かつて兵士に聞かれたことがある。一体いつを記念日にすればいいのだろうかと。そこで私は次のように言った。甲午戦争記念日をいつにするかは重要ではない、重要なのは君が国恥を心に刻むことであり、どのように奮起して中華民族の悲劇を繰り返さないようにするかだ、と。
王華勇(海軍少将、東海艦隊政治委員)
一枚の「下関条約」(中国語では「馬関条約」と呼称:筆者)は屈辱的に領土の割譲と賠償を迫っただけでなく、清朝が行ってきた洋務運動(西洋化を図り近代化する活動:筆者)を通じた強国実現構想を御破算にした。中国近代の反侵略戦争において甲午戦争は最大規模で最も残酷で影響も最も深い戦争だった。中国の植民地化プロセスを加速させ、近代化を中断させ中華民族の運命は歴史的谷底に陥った。