「僕はこれまでの人生で深く物事を考えたことがないんです。まともに考えたら悩みが先に浮かんでしまい、全然前に進まないでしょう。やっていたらいろんなきっかけや縁が生まれて、自然とレールができていた。僕はそれに乗っかっただけ」
そう謙遜する雅英さんだが、実は、子どもの頃、大工仕事や土木工事の様子を見ることが好きだったという。しかも、建設会社で大工的な仕事もしていたことから、その経験が役立った。人生、何があるか分からないものである。
なんとかなる、やればできる
その精神が後押しになる
とはいえ、立体看板の製作は経験がない。当然、周囲にも経験者はおらず、作り方さえわからなかったが、知り合いの同業者に話を聞くと、直射日光や風雨にも耐えられるFRP(繊維強化プラスチック)を使うと良いとアドバイスを受けた。FRPを扱う問屋を訪ねると、親切にノウハウを教えてくれた。はじめは、発泡スチロールに適さない硬化剤を塗って溶かしてしまったり、硬化剤の量を間違えて次の日になっても固まらなかったり……。試行錯誤を繰り返し、2カ月間かけて完成させた。
この龍が話題になり2000年代に入ると立体看板の依頼が増えはじめた。17年ほど前には大きな仕事が入って工場が手狭になり、守口市から今の場所に移った。
同社は30年以上前にホームページを開設したが、きっかけは友人からのアドバイス。開設後は全国各地、海外の日系企業からも依頼が来るようになった。「努力して営業したわけじゃなく、うまいこと友達が教えてくれて、それに乗っかっただけ」と雅英さんはどこまでも自然体だ。
24年、同社は息子の健一郎さん(37歳)に世代交代した。大学卒業後、大手総合商社に入社した健一郎さんは、4年間英国に駐在後、東京に戻ることが決まった時、退社を決意。「東京に帰るのが嫌になったんです」と当時を振り返る。その後、18年5月から妻と共に世界一周の旅に出た。
しかしコロナ禍により、途中で断念、帰国を余儀なくされた。家業を継ぐつもりはなかったが、決算業務を手伝ううちに、気づいたら看板製作もするようになっていた。
