「防げなかった」ですまないのが学校の現実
話を落雷事故に戻すと、どんなに対策を取ったとしても帝塚山学園の今回の事故は防げなかったかもしれない。しかし、先の判決に基づいて言えば、その責任は極めて重く、「防ぎきれなかった」では済まされないということになる。
今回惜しまれるのは、一部顧問らが雷注意報を知らなかったということだ。知っていたら防げたと言うつもりはないが、15年間管理職を務めた筆者の経験で言えば、毎朝、いや前の夜から気象情報は管理職全員が把握し、注意報等があれば必ず職員に周知してきた。校長は24時間、365日管理職なのだ。
携帯電話などができてしまったおかげでトイレや風呂に入る時も手放せない。特に春から秋にかけては雷や台風など荒天になりやすく、管理職の神経はすり減るものだ。
突発的な自然災害事故に100%の対策はあり得ず、そこまで学校に責任を負わせることに否定的な意見はあるだろう。しかし、突発的と言えば東日本大震災はその最たるものだ。
今回のように朝から出ていた注意報を職員が知らなかったとなれば、現実としては管理職の職責怠慢で責任が問われるだろう。大川小の判決は、そのことを突きつけている。
部活動事故の責任とは
もうひとつの部活動中の事故という側面を見てみよう。部活動指導時間は労働基準法の労働時間にはあたらないが、学習指導要領では学校教育の一環として位置付けられており、教員の業務として整理されている。非常にグレーな時間なのだが、判例を見ても公立学校においては部活動指導中の事故は国家賠償法が適用され、原則的には教員個人が責任を問われることはない。
だが、例外はある。栃木県那須町で山岳部の登山訓練中に生徒7人と教諭1人が死亡した那須雪崩事故は刑事裁判となり、安全配慮を怠ったことが結果として生徒の死亡という重大な結果を招いたと判断され、一審で業務上過失致死傷罪で引率教員ら3人に禁錮2年の判決が言い渡されている(その後控訴している)。
雪崩発生の予見可能性や過失を認め、「相当に重い人災」としたわけだが、となれば今回の落雷事故だって楽観はできない。帝塚山学園のような私立では国家賠償法は適用されないため、裁判となれば学校法人および教員個人が訴えられることになる。その場合、自然災害の予見可能性や安全確保義務などにおける過失が問われる可能性はある。
「大川小の悲劇」を判断しなかった最高裁
「大川小の悲劇」について、文科省通知文では「最高裁判決において上告が棄却」としているが、実は元最高裁判所判事、東北大学名誉教授である藤田宙靖氏によれば、これは「棄却」ではなく「上告不受理決定」であるという。氏によれば、1000年に一度という自然災害で生じた極めて不幸な事件において、誰にどのような責任・義務があるのか最高裁が法的判断を示すことを避けた。とすれば学校の責任はいまだ不明確で答えは出ていないことになる。(大川小学校津波被災訴訟始末 「上告不受理決定」(最高裁)の意義)
学校の責任とは何か。今後もその追及は続くのである。
