『シンデレラ』は誰もが知る童話だが、ディズニーは全世界にこの物語を伝える役割を果たした。1950年に公開されたアニメーションは、いまだに日本でも観られている。「白馬の王子様」を待望する保守的メンタリティに疑義が向けられたのは、ディズニーアニメが公開されてから30年の時間が必要だったのである。
シンデレラ・コンプレックスとは無縁のシンデレラ
〈2〉の『エバー・アフター』は、日本ではあまり知られていないが、プリンセス・ストーリーを考えるうえでは決して観逃せない映画だ。なぜならそのコンセプトは、「もしシンデレラがやたらと強くて自立していたら」というもの。ドリュー・バリモア演じる主人公ダニエルと王子様が知り合うのも、彼女が王子を泥棒と間違えて思いっきり石をぶつけたから。ふたりでいるときに山でジプシーに襲われて「担げる物なら何でも持っていけ」と挑発されると、ダニエルは王子を肩に担いで持っていく。さらに借金のかたに売り飛ばされて監禁され、男に襲われそうになると剣を奪って自力で脱出。そこにやっと助けに来た王子に対しダニエルは、「ここで何を?」と聞く始末。とにかく強いのである。
つまり、『エバー・アフター』はシンデレラ・コンプレックスとは無縁のシンデレラ像を描いたのである。16年前にこの映画が創られた当時、すでに欧米では女性の社会進出は当然のことだった。しかし同時に、この頃はディズニーの低迷期でもあった。古いプリンセス・ストーリーから脱却できず、まだピクサーともパートナーになってない頃だ。『エバー・アフター』は、アンチ・ディズニー的姿勢で現代でも通ずるおとぎ話を見せつけたのだった。
〈3〉の『魔法にかけられて』は、ディズニー自身が自らをパロディにした実写版フェアリーテイル。冒頭はアニメーションで、お姫様はその日はじめて出会った王子様と婚約する。が、そんなお姫様(エイミー・アダムス)が魔女によって現代(実写)のニューヨークに飛び出してきてしまう。ドレス姿のままマンハッタンの真ん中で右往左往する彼女を救うのは、シングルファーザーの男性。婚約者がいるにもかかわらず、お姫様はその中年男性と恋に落ちる──というお話である。ラストは少々強引な感もあるが、よくもまぁディズニー自身がこんな映画を創ったなと思わせる内容だ。しかし、いま思えばこの作品はディズニーの明確な所信表明だったのだ。
「時代に合わないフェアリーテイルはもうやらない!」
『アナと雪の女王』は、まさにこの所信表明がなければありえない内容だ。旧来型のプリンセス・ストーリーを繰り返し否定しているからだ。
なお、こうしたプリンセス・ストーリーについて詳しく分析した本として、若桑みどりの『お姫様とジェンダー:アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』(2003年/ちくま新書)がオススメだ。07年に世を去った若桑氏が、もし『魔法にかけられて』や『アナと雪の女王』を観たら、いったいどのような感想を漏らしただろうか。