日本列島が6つ入る「高原」
本に庶民が出てこないのも当然である。一行の目はあくまでも自然地形に向いているからだ。旅の狙いを元国立極地研究所長、渡辺興亜(85歳、おきつぐ)はこう記している。
<1960~70年代にヒマラヤ山脈南麓を旅した人々にとって、(中国に)しっかり閉じられていたチベット高原を訪れることは憧憬であった。その自然全体を掴みたいというのが目的である>
結果はどうだったのか。渡辺に聞くと「いやあ、これが憧れのチベットかという感じだった。とにかく地形のスケールがでかすぎる」と言う。何もない風景が延々とつづいたからだ。
「チベットを我々の知る地形の概念で認識するのは難しい。僕らが今回行ったのは高原の端っこで、もっと北の方はいずれ訪れたいけど、さらに北、氷河のある崑崙山脈まではきっと独特の地形以外何もない、人も住んでいない土漠だろう」
僻地について「日本のチベット」などと言う人がいるが、この比喩がチベットのイメージをかなり小さくしている。高原という呼び名も目くらましだ。つい八ヶ岳高原や高原野菜を連想してしまうが、チベット高原は日本列島(約38万平方キロ)が6つすっぽり入る240万平方キロもある。
あまりに広すぎて、「長くいると自分がどこにいるかもわからなくなる。大戦後ソ連がつくった5万分の1縮尺地図を持って行ったが、まったく役に立たない。スケールが全然違うんだ。役に立ったのは米国製の航空オペレーション地図(50万分の1)。あとは中国製の氷河・凍土図(200万分の1)かな」
50センチ四方の紙に東京埼玉や北アルプスが収まるくらいの地形図で歩かないとわからないということだ。
