「ヒマラヤの標高が急に高くなり7000メートルを超えたのが大体70万年前。最近のことなんだ。その結果、偏西風が流れるルートが決まり、氷期から間氷期の周期も決まって、いまの地球気候のシステムが出来上がった。そう考えられているんだ。でも、ヒマラヤの上昇とチベット高原の気候変動の関係は十分にわかっていない。氷床のような氷河が発達したかどうかも、まだ研究課題の一つなんだ」
筆者の想像力が乏しいのか、時間ばかりか語彙感覚もおかしくなる。地質屋が普段から妙に泰然として見えるのは、このスケールが頭を占めているからなのか。「チベット紀行」を楽しむには大きな時空スケールが必要なようだ。
「未知の空間」を知る
それにしても、なぜチベットに惹かれるのか。
1963年、23歳の地質学生だった渡辺は山岳部の仲間5人と半年がかりで西ネパールを探検した。
「戦前、英領だったインド測量局がつくったヒマラヤの地図には想像で描かれた部分も多かった。だから、僕らは改めて歩測で地図を作りながら旅をしたんだ。チベット領に越境して一人が拘束されたこともあった。そのとき、チベット高原の南端の地形が茫漠と見えたと思って、その印象が強烈だったんだ。そのころから、チベットはかって氷床に覆われていたという説を信じて、僕はそれを実証したいと思ってきたんだ」
今回は中国当局の制限もあり、すべては見ることはかなわなかったが、「もっと見られるなら、見たい」と渡辺は言う。「チベット高原は当時も今も未知の空間だからね」
だが、すでに触れたように、そこは「何もない土漠」ではないのか。
「だろうな。だがスウェーデンの探検家、スウェン・へデンはそこを旅し、トランスヒマラヤを発見したと主張し、今もそれは信じられている。未知の空間を既知に変えたのが彼の旅だった。
衛星画像も何もない時代に地図を自分で作りながら入っていった地がいまようやく認識できる。それは研究者冥利につきるよ。地図の空白部を地球の一部にするわけだから」
それが叙事詩を想像する、ということか。
「人間は1000年たてば叙事詩が書けるけど、地球の場合、20億年くらいで叙事詩になる。それを感じたいんだよ」
「それに」と言って渡辺は付け加えた。
「日本の気象を左右する高気圧は高原特有の地形でできるわけだからね。チベット高気圧の発達具合で梅雨前線がどの辺りにいつくるかも決まる。日本列島上空の大気の流れを決めているんだ。天気予報の図を大陸の方まで見せればよくわかるよ。風上の地形として無視できない場所なんだ」
