2025年12月6日(土)

絵画のヒストリア

2025年7月6日

 『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』のポスターのモデルとなったラ・グリュは口が少し曲がった尊大な面立ちで、不愛想なひねくれものという評判だった。しかし、舞台に立つ彼女はそうした器量を忘れたかのように、天真爛漫で魅力的な演技で観客を魅了した。

 1895年にラ・グリュが疲れてムーラン・ルージュを引退し、自分の興行小屋に引きこもったとき、ロートレックは自筆の華やかな引幕を描いて贈っている。ここでもラ・グリュは意地悪で辛辣な表情に描かれているが、それは画家が人気と実像との間でため息をつくこの踊り子に寄せた、ひそかなオマージュの証しであったのかもしれない。

 〈彼女はこの残酷な現実を前にして殉教者のようにすさみきってしまい、涙を流し、ため息をつき、めざめ、眠った。しかし、彼女に振る舞いは限りなく魅力的で、実に天真爛漫に生きていた。そして彼女の容姿は時には極めて若々しく見え、時には全く年老いて見えるのであった。彼女のそうした特性が、ロートレック自身を画家として完成させたといってよいのではないだろうか〉

 ギュスターブ・コキオはこう指摘したうえで「彼女は実に絵画的であり、美しく華々しいものであった。ラ・グリュのすべてがロートレックを真実の画家たらしめた」とまで述べている。名門貴族の一族に生まれ、障害を抱えながら劇場やキャバレー、競馬場など〈ベル・エポック〉のパリの爛熟した都市風俗を自在なタッチで描いた画家は、アルコール中毒のために1901年に36歳の若さで生涯を閉じる。その画家としての短い境涯に、〈カンカン〉の踊りで人気を集めた〈ムーラン・ルージュ〉の歌姫の屈折した魂が、強い光と影を投げかけている。

「ムーラン・ルージュ」は残っていても、あの熱気とざわめきはない

 もともと「噂話」や「ゴシップ」といった意味をもつ〈カンカン〉は、パリの下町の舞踏場に流行したダンスであった。これを引用した『地獄のオルフェ』でそれはひとつの〈様式〉となり、パリ・コミューンと普仏戦争の敗北で第二帝政が終わると、ラ・グリュのような人気の踊り子の演技を通して〈ベル・エポック〉の時代の象徴となった。

 「ムーラン・ルージュ」では、細身でアクロバットのように柔軟な体を自在に折り曲げて演じる「骨なしヴァランタン」と、大胆に足を振り上げて客たちの歓心を呼ぼうというル・グリュが看板だった。1891年にロートレックが描いたポスターの『ラ・グリュとヴァランタン』は、この男女の人気の踊り手が前景と中央に配されている。

 「ムーラン・ルージュ」はいまも残っていても、もうあの熱気とざわめきはない。

(Christian Mueller/gettyimages)

 1957年頃、ジャン・ヤンヌという歌手が歌った「フレンチ・カンカン」というシャンソンの一節を、森佳子さんの『オペレッタの幕開け』という著書から引く(著者訳)。

〈陽気な黒い長靴下の熟した娘たちを見に行こう

 レースや裾飾り、君らのフレンチ・カンカンの下から、足を上に投げ出せ

 もう回らない風車、なんと身ぶりを強調する、フレンチ・カンカンの演技 

 おーい、1900年代の、君らの踊りと身ぶりのうちに

 青春の泉のような、君ら20歳の思い出を受け取りたまえ

 そして君ら20歳の娘たちが、踊りを変えてさえも

 フレンチ・カンカンの栄光の、思い出を心にしまっておきたまえ〉

 
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