2025年12月5日(金)

絵画のヒストリア

2025年7月6日

批評精神を託した喜歌劇

 オッフェンバックの喜歌劇『天国と地獄』は1858年、パリのシャンゼリゼの小劇場〈ブフ・パリジャン座〉で『地獄のオルフェ』のタイトルで初演された。この中で演じられる、良く知られたカンカンの踊りは「地獄のギャロップ」という名前がつけられている。

ジャック・オッフェンバック(1819-1880)

 日本でも運動会の競走を盛り立てる伴奏曲や、文明堂のカステラのCMで使われる、おなじみのアップテンポの曲に合わせて、ロングスカートの下に重ねたペチコートに黒のストッキングをはいた踊り子たちが、スカートをたくし上げて形の良い足を勢いよく上げ下げする。

 〈フレンチ・カンカン〉のイメージはこの作品を通して現代に定着していったといってもいい。ちなみに、のちに『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』のポスターで〈カンカン〉のギャロップの姿を描いて喝采を浴びるロートレックは、この時まだ生まれていない。

 時代はナポレオン三世による第二帝政のさなかである。

 ナポレオン・ボナパルトの甥で、クーデターで帝位についた三世ナポレオンは、革命後の混乱から抜け出すために自由貿易を活性化して金融市場の整備をすすめた。

 産業振興のために1855年と1867年の二度にわたってパリで万国博覧会を開いた。またオスマンをセーヌ県知事に起用して、中世の面影を残したパリの大規模な都市改造に踏み切った。その一方で、独裁政治に批判を強めて勢いを増していた新聞などメディアへ統制を強めた。

 オッフェンバックがシャンゼリゼの小劇場に繰り広げて人気を集めていた舞台は、新しい音楽と舞踊を融合した〈喜歌劇〉と呼ばれた。第二帝政期の強権による統治と〈ベル・エポック〉へ向かって成熟する大衆社会との間に広がった、熱い社会の混沌の産物というべきであろう。それは紛うことなく、この時代の道徳や文化のカオスが生んだのである。

 ドイツのケルンでユダヤ系の家庭に生まれたオッフェンバックは最初、チェロ奏者としてパリの劇場で活動するが、やがてシャンゼリゼに〈ブフ・パリジャン〉という小劇場を持った。ここを舞台にして、社会風刺や世紀末へ向かう文明への批評精神を託した喜歌劇、オペレッタを次々上演して評判をとった。『地獄のオルフェ』はそのさきがけである。

 ギリシャ神話のオルフェウスの悲劇をもとにした一種のパロディである。

 原作では、主人公の竪琴弾きのオルフェウルスは妻のエウリディーチェを亡くして哀しみのなかにいる。黄泉の国へ訪ね歩いて三途の川を渡り、地獄の王の前で妻を返してほしいと訴えるのだが、王は妻を返す条件として「地上へ戻るまで決して後ろを振り返らないこと」を求める。ところがオルフェウスは振り向いてしまい、バッカスの神に八つ裂きにされてしまう、という結末に導かれる。

 一方、オッフェンバックの『地獄のオルフェ』では、オルフェウルスの夫婦の愛情はすでに冷え切っている。妻のエウリディーチェは罠で地獄へ落ちてゆくのだが、夫のオルフェウスはそれを喜んでいる。そこに登場するのが「世論」という、奇妙な名前の人物で、彼は夫を説得して妻を取り戻すよう促し、夫は天国の大神ジュピテールに会って地獄の妻を探し出す。

 地上に連れ帰ろうとすると、天国のジュピテールが雷を落として、妻の姿は消えている。オルフェウルスは一人地上に戻るが、妻はいつの間にバッカスの巫女となっている。

 夫婦関係は冷えており、天国や地獄の神々も妻のエウリディーチェに下心を持っているという筋書きは、偽善へのパロディや時代の風刺としてもかなり刺激的である。

「世論」の存在

 ここで注目したいのは、夫婦の道案内役のように登場する「世論」という人物である。ギリシャ神話の伝統をひっくり返し、夫婦が結んだ愛情を疑ってシニカルな笑いを振りまくこの舞台では、革命歌「ラ・マルセイエーズ」に似た旋律が挿入されるなど、社会風刺と同時代への批評があちこちに散りばめられている。

 〈『オルペウス』(オルフェウス)のテキスト作者は、古代悲劇のコーラスを世論という人物によって代用するという、天才的なことを思いついた。それはオペレッタの中で、名誉、誠実、信仰の見せかけ、つまり社会的慣習を代表している。世論の命令でオルペウスは、ジュピターにエウリディーチェを返してくれるよう請わねばならない。それに従うのをためらっていると、世論は『さあ!名誉がお前を呼んでいる!』という言葉でかれに切願する。名誉が慣習としてしか存続しないことを、これほど先鋭に表現することはできないであろう〉(S・クラカウワー『天国と地獄』平井正訳)


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