知的財産権の保護は、私たちに幸せをもたらすのか?
1968年に、生物学者ギャレット・ハーディンが、「コモンズの悲劇(The Tragedy of the Commons)」という論文を発表しました。
そこでは、牧草地に複数の農民が牛を放牧する例が挙げられています。
そして、その牧草地が個々の私有地であれば、牛飼いは牧草が枯渇しないように抑制して牛を飼うけれど、牧草地が誰でも使える共有地である場合には、その抑制が働かず、牛飼いはそこで多くの牛を飼い、結果として牧草が枯渇してしまうと説明されています。
「コモンズの悲劇」は、資源を共有することによって過大利用がなされてしまうという問題点を指摘し、私的所有の重要性が再認識されました。
一方、それとは反対の「アンチ・コモンズの悲劇」という主張があります。資源の私有化が進むことによって、その資源が過少利用となってしまい、社会に不利益をもたらすというものです。
たとえば、特許によって知的財産の私有化が進むと、その研究成果に基づく新たな研究が制限されてしまう可能性があります。共用されるべき財産が独占されてしまう結果、社会にとって有用な情報・技術の利用が妨げられるのです。
ある会社が生み出した医療技術を利用して、ほかの会社が新たな医療技術を開発する。そして、それによって今まで助からなかった患者が助かるかもしれません。場合によって、国境を越えて、全世界で活用されるかもしれません。
しかし、特許があることによって、技術の利用が独占的になってしまい、医療の進歩が妨げられたり、安価な医療が提供できなくなったりする恐れがあります。
決して、創作意欲を削ぐようなルールではいけません。しかし他方で、社会全体の技術革新の大きな足かせとなるようなルールでもいけません。
「知的財産権を保護することによって、私たちに幸せがもたらされるのか?」という問いは、答える人の立場によって、肯定的にも否定的にも捉えられます。誰にどれくらいの私的な独占を認めるのかは、その狭間にある難しい問題です。

