2025年12月6日(土)

Wedge REPORT

2025年8月9日

源内の「吉原遊女論」

 ところで源内は、蔦重の依頼を受けて『細見嗚呼御江戸』の序文に何を書いたのだろう。そこに展開されているのは「吉原の遊女論」だが、源内は生涯独身を貫いた同性愛者だっただけに、興味を感じる読者もおられようから現代語訳しておこう。

「人買いを商売とする女衒(ぜげん)が、吉原で働かせる目的で娘を買い取るときに用いる評価方法がある。一に目、二に鼻筋、三に口、四に髪の生え際という順にチェックしていく方法だ。女郎として望ましい肌は凝固した脂のようなのがよく、歯は瓢(ひさご)の種のようなのがよい。遊郭にはそれぞれの家風というものがあり、好みの顔というのもある。尻の形や大きさにしてもそうで、足の親指がどういう風になっているかということも口伝になっている。刀豆(なたまめ)や臭橘(からたち)に見立てる秘術も存在し、選ぶのもなかなか骨が折れるが、牙ある者には角はなく、柳の葉はいつも緑ではあるが、華というものが感じられず、それと同じように、智恵があっても醜くかったり、美しくても馬鹿だったりすることもあるし、もの静かなのはいいが溌溂としていないのはまずく、賑やかな者はお転婆だったりする」

 話は、これで終りではなく、まだまだ続きがある。

「顔・心・容姿と三拍子そろった遊女は、座敷持ちの高位の『中座(ちゅうざ)』となり、『立者(たてもの)』(立役者)と呼ばれる。これぞ人といえる者がいないように、これぞ遊女と呼べる女は稀なのである。そういう遊女がいたら、貴いこと限りなく、得がたいこと限りなしといえる。あるいは、骨太で毛深い者も、太短い猪首(いくび)で獅子鼻で出っ尻の者も、虫食い栗を食べていた者*も、拍子木が四ツ時(午前10時)を告げると、居残っていた者がどの遊郭の張り店からも引き揚げてしまい、格子の向こうには誰一人として女郎の姿はなく、だだっ広くなるのが、あゝ、お江戸なのである」

*虫食い栗を食べていた者
原文は「蟲喰栗(むしくいくり)のつゝくるみ」となっているが、意味不明。書いた当人の源内は、この6ヵ月後(7月)に「吉原細見 里のをだ巻評」(『風来六部集 下』に収載)を書き、「細見嗚呼お江戸の序に有るごとく、或は骨太・毛むくじやれ・猪首・獅子鼻・棚尻(たなじり)の類なきにしもあらず」(『細見嗚呼御江戸』では「或は骨太毛むくじやれ、猪首獅子鼻棚尻、蟲喰栗のつゝくるみも」となっている)として、「蟲喰栗のつゝくるみ」という言葉だけをはずしているところをみると、誰かから「意味不明」と指摘されて削除したのかもしれない。

 蔦重が出版界に関わるきっかけとなった『吉原細見』は、江戸の町に住んで吉原へ通っている者だけが対象ではなく、地方から江戸見物にやって来た者も土産に何冊も買っていくので、売上が目に見えて増える効果も大きかった。


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