2025年12月5日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2025年8月15日

 そのように、理科の知識というのは広範な産業の現場、行政の現場では当然必要な前提知識となる。けれども、高校生、とりわけ私立文科系志望の学生には、そのような理解は薄いことになる。

科学=自然観察という勘違い

 今回取り上げた国立青少年教育振興機構の調査では、他にも興味深い傾向が浮き彫りとなった。それは、日本の高校生が自然や科学についてのテレビや動画サイトを見ることや動物園、科学館などなど、自然科学に関する情報収集に秀でているということだ。また「動物・植物に関すること」「天文に関すること」に「とても興味がある」「まあ興味がある」と回答した割合はいずれも6割を超えており、これも非常に高い。

 一見すると、日本の高校生は理科に関するリテラシーが高いことの反映に見えるし、到達度をテストすると依然として成績的に優位な結果が出ることを裏付けているようにも思える。けれども、この種の科学・理科への関心というのは、日本の場合は特に自然への親しみという強いカルチャーに支えられた、自然観察に関わる現象面の教養知識という傾向が強い。

 反対に、ニュートン力学や波動、電気などで世界の動きを解き明かす物理学、周期表や化学式あるいは亀の子で世界を説明する化学、さらには分子レベルの解明の進む生物学など、世界の構造を原理原則で打ち立てつつ研究する、高校生以上に必要とされるサイエンスの主要3科目へのリテラシーは、社会的にもかなり怪しい。

 このように、理科イコール自然の現象面における教養知識、という前提に立てば高校生の多くが「社会に出たら理科は必要ない」と感じるのも分からないではない。そう考えると、昔からある「日本は科学技術立国」というセルフイメージは、かなり中身の怪しい「張り子の虎」であるかもしれない。


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