吉野林業と密接に結びついた産業
まず割り箸の歴史と現状を押さえておきたい。
この地で割り箸がつくられたのは、伝承では南朝を開いた後醍醐天皇に下市の里人が杉箸を奉納したことに始まるとされる。歴史的には江戸時代中期に当たる1709年の下市の商家の出納簿に「わりはし」という言葉が登場することから、この頃に誕生したと考えられる。ただし、当時の頃の割り箸は、杉を割ってつくられた箸という意味だったようだ。
明治になると、技術革新が行われて食べる直前に割る現代的な割り箸が誕生した。それが飲食店や旅館で広がり急速に普及していく。
1960年代に東京オリンピックの開催に向けて政府が衛生面から後押ししたこともあった。戦後は外食産業が広がり、さらにコンビニなどの持ち帰り弁当用の箸として爆発的に需要は膨らんだ。
ちなみに最初の割り箸は、吉野杉による樽や桶の部材の残った部分からつくられた。戦後は木樽の需要が減ったため、丸太から角材や板を挽く際に出る背板(弓なりの部分)が使われるようになる。いずれも木を無駄にせず使い切ろうという意図から箸づくりが行われており、吉野林業と密接に結びついた産業だったのである。
やがて杉箸ばかりでなく桧箸も登場する。こちらは下市の隣町である吉野町で多く生産されるようになった。また岡山県や北海道など全国に広がった産地では、アカマツやトドマツ、シラカバなども使われるようになった。
海外へと産地が移る
割り箸がもっとも出回ったのは、2000年代だ。年間250億膳以上に達した。ただ産地は海外に移っていった。なかでも中国が圧倒的な生産量を誇り、価格面から圧倒していく。
素材は、シラカバやアスペン(ポプラの一種)が使われ、「元禄」と呼ばれる簡素で安い割り箸が主流だ。日本で使われる割り箸も、ほとんどが中国製になってしまった。この当時で、国産は約2%とされていた。
そこに激震が走った。2006年に中国が割り箸輸出を止めると言い出したのだ。表向きは森林保護を打ち出していたが、本当の理由はわからない。
