沖縄を訪れた。そこで見てきたのは、琉球王朝の象徴とも言える首里城の復元現場。ご存じの通り、首里城の正殿などは2019年の火災で焼け落ちた。その復元工事の様子を見たかったのである。
予定通り進めば来秋に復元が終了する。筆者は焼ける前の正殿を一度見ているが、新たな姿は以前と変わるだろうか。
歴史的建造物の復元は各地で行われている。奈良県では古の都を蘇らせるため、平城宮の朱雀門や大極殿が復元され、今も周辺施設の建築が進められている。ほかにも城郭の天守閣や神社仏閣、また縄文時代などの古代集落なども数多くある。
ただ、それらの計画・構想には様々な意見が交錯する。正確な姿を再現できるのか、莫大な建設費に見合う価値はあるのか、そして観光振興に役立つのか。そんな声も含めて、メリット・デメリットを考えてみたい。
5度目の再建で行った〝工夫〟
まず首里城と、その再建の歴史を振り返っておこう。
首里城は、1429年に琉球を統一した尚巴志が王家の居城とした。しかし焼失を幾度も繰り返す。
1453年、1660年、1709年と火を出し、そのたびに再建されたが、明治に琉球王朝は滅び学校などに転用された。その後解体される予定だったが、一転保存が決まり、国宝に指定されるまでになる。しかし太平洋戦争の沖縄戦で砲撃を受けて4度目の焼失となった。
1980年代に入ると本格的な復元工事が始まった。92年に全域が完成し、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録される。ところが19年に火災が発生、正殿と北殿、南殿を全焼した。そこで22年から5度目の再建が始まったのである。
