首相は連立政権を維持するため極右の閣僚らに配慮し、まずはガザ全土の「完全占領」を提案した。だが、これにはザミール参謀総長ら軍幹部が「重大な戦術転換」として強く反対した。
参謀総長は「完全占領には1~2年かかる。われわれの攻撃で人質の命が危険にさらされる」などと主張。代替案としてガザ市への攻撃と包囲網の強化案を提示した。
ガザの入植を目論む極右の閣僚らは軍の主張を手ぬるいと決めつけ、ネタニヤフ首相の息子のヤイル氏はSNSで「参謀総長は軍事クーデターを画策している」と非難、会議は紛糾した。結局のところ、最後は軍側が押し切られる形で制圧計画が承認された。
しかしガザ市の「制圧」と言っても何をもって「制圧」というのかが不明だ。ハマスはほとんど壊滅状態で、反撃する力は残っていない。軍事指導者もほとんど殺害され、指揮命令系統もずたずただ。
イスラエルのラピド前首相はガザ市制圧計画に「ハマスが望んでいた結果だ。誰もが不満を抱えることとなった」と批判した。国際的にも、国連や英仏独が批判、ドイツは軍事装備品の輸出を当面承認しないと圧力をかけた。
こうした動きに首相は反発、10日夜にはアルジャジーラなどのジャーナリスト6人をドローン攻撃で殺害してみせた。
好機失ったネタニヤフ
ネタニヤフ首相のこうした強硬姿勢は焦りの裏返しだ。首相は6月、宿敵イランの核施設を、米国を巻き込んで攻撃し、破壊した。「国を救った英雄」として評価は高まり、選挙をやれば圧勝するという世論調査も出た。だが、そうした「我が世の春」は一瞬だった。あっという間に首相に対する批判が激化した。
首相の人気が急落した最大の原因はハマスとの停戦交渉が行き詰まり、生存している20人の人質解放要求が一段と高まったためだ。エルサレムやテルアビブでは大規模な反ネタニヤフ集会が開かれた。
徴兵を拒否する予備役が増え、軍人の自殺者も急増した。えん戦気分がこれまでにないほど強まった。
イスラエルの元参謀総長2人、国内治安機関シャバクの元長官3人、対外特務機関モサドの元長官3人が中心となって「戦争を終わらせろ」という動画を発表、シャバク元長官の1人は「軍事的目標が達成されたらすぐに停戦にすべきだ」と要求した。
