2025年12月5日(金)

商いのレッスン

2025年9月14日

<今日のお悩み>
息子に跡を継がせたいのですが、私の想いが伝わりません。どうすれば心を通わせられるでしょうか?

 地方の老舗企業で、こんな悩みを耳にすることが多い。

 「息子が店を継ぐとは言っているが、どうも腹の底では納得していないようだ」

 「自分が大切にしてきた“商いの心”が、まったく伝わっていない気がする」

 このように、事業承継における「想いの断絶」は、数字や仕組みの引き継ぎ以上に深刻な問題となって、多くの経営者を悩ませている。その本質は、経営戦略や業務マニュアルではなく、「なぜこの商いをしてきたのか」という動機と哲学の共有不足にある。

(DragonImages/gettyimages)

想いは所作に宿る

 岐阜県飛騨市にある創業150年を超える酒蔵「渡辺酒造店」も、かつて事業承継に悩んだ企業のひとつだった。現社長の渡辺久憲は、大学卒業後に東京での生活を選び、家業を継ぐ意思はなかったという。

 しかし、帰省のたびに目にする父の姿が、彼の心に少しずつ変化をもたらした。冬の寒空の下でも蔵にこもり、朝早くから米と水に向き合い、一つひとつの工程を丁寧に見つめるその所作。その姿勢には、単なる製造業ではない「酒造りに込めた精神」が宿っていると感じた。

 「酒を造るのではない、“歓び”を醸すのだ」

 父の言葉と行動が一致していたからこそ、継ぐべき商いの意味が久憲の心に深く刻まれていった。やがて彼は家業に戻り、伝統の製法に革新を加えた酒造りを進めていく。

蓬莱(渡辺酒造店HPより)

 代表銘柄「蓬莱」は国内外の日本酒コンテストで数々の賞を受賞し、インバウンド需要にも対応。いまや飛騨の地酒はアジアや欧米でも高い評価を得ている。

 さらに注目すべきは、若手社員が次々と入社し、地元の高校生が「将来、渡辺酒造店で働きたい」と語るような企業になったことだ。伝統を大切にしながらも開かれた経営姿勢が、地域と人材を呼び込んでいる。これは単に事業を「継いだ」だけではなく、志と哲学を受け継ぎ、“共に営む”関係を築いた成果といえる。

 かつての「背中を見て学べ」という承継は、もはや通用しない時代かもしれない。だが、今なお「見せる背中」には力がある。ただし、それは所作と想いが一致しているときに限られる。


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