これらを、凝り固まった人間の脳で理解するのは難しいことなのかもしれません。それでも、未来の可能性の一つとして、大いに空想しても良いのではないでしょうか。
ただし、私はAIを手放しに礼賛しているわけではありません。例えば、映画『ターミネーター』のように、AIを搭載した自律型ロボットが自らの判断で人に危害を加える未来が訪れるかどうかは定かではありません。しかし、私がより懸念しているのは、AIが人の手を借りずに自律的に悪事を働くようになる以前に、人間のほうが先にそれを悪用しようとする可能性があることです。
つまり、AIが脅威となる前に、人間自身が脅威となる。私たちの敵はAIではなく「人間こそが人間の敵」となり得ることを想定しておかなければならないのです。こうした未来を想像し、「備える」ことこそ、私たち人間の「空想力」が真に試される場面といえるのではないでしょうか。
また、私がはっきりとお伝えしたいのは、AIの登場によって人間の生きる価値が否定されるわけではないということです。むしろ、先ほどの教師の例のように、人間にはAIに真似できない力が数多くあり、その価値はこれからも決して失われることはありません。
人間としての「個性」も、AI時代には、重要な価値を持ち続けます。
私は最近、学生に生成AIを活用してレポートを書かせています。数日かけてプロンプトを設計し、採点も生成AIに任せていますが、その評価基準は明確です。それは、学生の「個性」がどれだけ光っているかということ。
つまり、レポート内容はAIに任せきりではなく、他者が思いもよらないオリジナルな発想がどれだけ反映されているかによって、点数が決まる仕組みです。普段から深く物事を考え、幅広く本を読み、情報に敏感であるかどうかが、得点に大きく影響します。
こうした環境の中で、学生たちは力を発揮し始めています。薬学にとどまらず、哲学や経済といった独自の視点を盛り込みながら、思考の射程が格段に広がっていることを、教育者として日々実感しています。
「最近の若者はダメだ」などと、私はまったく思いません。むしろ、学生たちの柔軟な適応力には驚かされるばかりです。彼らのような人材が活躍できる日本社会であってほしいと、心から願っています。
人類とAIが
共存するカギとは?
結局のところ、生成AIに頼りすぎれば、意見や発想が均質化し、社会全体の多様性が損なわれていく恐れがあります。また、AIのアイデアだけで生きていては、人は「生きがい」を感じることが困難になるでしょう。
つまり、「生成AIがあるから何でもやってくれるようになってラッキー」ではなく、「生成AIがあるからこそ、もっと深く学ばなければ」と感じるべきなのです。そうなれば、人間の「個性」はもっともっと伸びるはずです。
AIが提示する選択肢の中から、最終的に何を選ぶかを決めるのも、責任を担っているのも人間です。なぜなら、この世界で生活しているのはAIではなく、人間だからです。
AIと共存していくためには、人間が生きがいを持てる社会を築くことが不可欠です。それこそが、AIとの共存における最も本質的な課題であり、カギだといえるでしょう。
そのためには、「AI=脅威」といった単純な図式で思考停止するのではなく、人間同士がAIの活用について納得し合えること、つまり、社会全体が「腑に落ちている」状態であることが求められます。
AIの隆盛によって、人間が不得意な領域はAIに任せ、自らは人間らしい営みに集中する─。そうした発想の転換によって、私たちは「人間が本来担うべきこと」に脳の使い方を特化させることができるはずです。つまり、AIの登場と進化は、私たちに「真の人間らしさとは何か」を改めて問いかけているといえるのです。(談)
