ハリウッドのSF映画を思い浮かべてみてください。多くの場合、科学が暴走して人類は危機に瀕します。しかし、最後は人類が力を合わせて科学に勝利します。科学者である私からすると、科学=悪(暴走)という決まりきった描かれ方には、少しもどかしさを感じるのですが……。
ただし、備えあれば憂いなし。たとえ多くの空想が無駄に終わったとしても、「もし、こんな未来が来たらどうするか」を考えてきたからこそ、人類はこれまで生きてこられたともいえるのではないでしょうか。
何より、未来を空想することは楽しいことです。ですから、私はいつも「こんな研究をしてみたい」「あんなことに挑戦してみたい」「こんな技術が実現すれば、世界はこう変わる!」といったことを空想し、一人でニヤニヤ、ワクワクしています。
人間は空想力を
鍛えられるのか?
人間の空想力は繰り返すほどに鍛えられると私は考えています。
少し脇道にそれますが、私が専門とする脳の仕組みについて解説しましょう。
脳には「入力」と「出力」という二つの働きがあります。例えば、英単語を覚えるために繰り返し叩き込む行為は「入力」で、蓄えた情報をもとにテストを解くのは「出力」です。これまでの実験結果から、記憶を定着させるには、出力=テストを、手を抜かずに行うことが効果的であると分かっています。
入力と出力は両輪ですが、脳がどちらをより重視しているかといえば、圧倒的に「出力」です。つまり、脳は「出力依存型」なのです。
このことは空想にも当てはまります。冒頭のジャングルの例のように、空想とは、知識や経験という「入力」をもとに生み出される「出力」そのものだといえるからです。
では、日本社会は空想力や発想力を育むことに向いているでしょうか。私はこの点について、やや懐疑的に考えています。なぜなら「出る杭は打たれる」傾向があるためです。
例えば、就職活動の際、企業の担当者が学生に向かって「みなさんの自由な発想力に期待しています」と語るのに、いざ入社すると「ルールを守れ」と縛りがちです。また、経営者が「多様性が大事だ」と言っても、実際にはそうではないという事例も少なくありません。ホンネとタテマエの間で揺れる日本企業の改善すべき点でしょう。
ただし、私は空想力を持つ人だけを重視しているわけではありません。事務的な作業も極めて重要だからです。当然ながら1+1=2ですが、1+1=3で、「あなたの空想力、発想力は素晴らしい!」ということになれば、数学が数学でなくなります。計算に空想力や発想力は不要なのです。世の中には空想力を発揮して良い場面と、してはならない場面があって、日常生活では後者の場合が圧倒的に多いのです。
